2010.09.07 Tuesday 00:21
くっくり
今彼らの全財産を没収するのは小気味よいかもしれないが、それは後で大きなタタリとなって返ってくるはずだ。(終戦から)5年後に起こった朝鮮戦争もそのツケの一部であるかもしれない。
「日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想」より
朝鮮人の名前を見ただけでは、日本人と区別がつかないようにしようとしたのが、南総督(南次郎総督=昭和11〜17年)の創氏改名の基本的なアイデアであった。それで朝鮮人の元の姓は戸籍上に残しておきながら、戸主が新たに氏を創設して、名乗るときには姓の代わりに氏を名乗るよう決めたのである。
名前の付け方も朝鮮人は日本人と全然違う。それで名前も、この機会に日本式に変えるよう奨励した。こうすると、その名前だけでは朝鮮人と日本人の区別がつかなくなり、それだけ両民族が近づいたことになると考えたわけだ。僕はこれを、南総督の好意から出た発想であると受けとめる。朝鮮文化の抹殺を図る陰謀や悪意からきた仕業だとは考えない。
日本植民地時代から今に至るまで、日本に居住する朝鮮人らは通名という日本名を持って暮らしている。これは日本政府が決めたのではなく、韓国人が自ら望んでこの通名制度を認めてもらっているものであり、これもあからさまな差別を避けるためのものでもある。
植民地時代の、朝鮮在住朝鮮人らは、当時このような通名を自ら望んだのではないけれど、この創氏改名制度に反対もしなかった。地方によっては、ある程度強制されたところがあったかもしれないが、京城では洞会(洞事務所)や学校などから強勧されたというハナシは聞いていない。それでも韓国人らは80〜90パーセントほどが進んで創氏改名に応じた。創氏改名をすれば外見上、日本人と韓国人の区別はつかなくなるが、戸籍の上では元の姓はちゃんと残っているのだから、姓を奪われたという非難は当たらない。
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