2010.09.07 Tuesday 00:21
くっくり
日本による植民地化は、朝鮮人の日常の生活になんら束縛や脅威を与えなかった。これはなんでもないように見えるかもしれないが、独立後の南韓(韓国)・北朝鮮における思想統制とそこからくる国民一般の恐怖感と比べるとき、かえって南北朝鮮人は終戦後の独立によって、娑婆の世界から地獄に落ち込んだのも同然であった。
「日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想」より
日本は韓国合併後、1916年の京城高等工業を手始めに高等商業、法学専門、京城師範、京城女子師範、医学専門、歯学専門、薬学専門、水原高農、鉱山専門等を矢継ぎ早に設立し、1924年には京城帝国大学を設立した(当時、日本の帝大は全国で東京、京都、福岡、仙台、札幌の5校のみであった)。
ちなみに終戦後、1946年に米軍政下で設立されたソウル大学は、日帝時代に日本の技術と資本で建てられ、日本人教授らによって運営された、上記の学校を一つにまとめて朝鮮初の総合大学に仕上げたものであり、それまでに理工系の高等教育機関は皆無に等しかった。これを見るとき、韓国の教育の淵源は日本にあったと言って過言でない。
総督府が設立したこれら高等教育機関が輩出した卒業生達が、朝鮮近代化の尖兵となったのは議論の余地がない。卒業生中、日本人に対する朝鮮人の比率はたいてい20%前後にすぎなかった。
朝鮮人は終戦と同時に朝鮮在住日本人全員(推計80万人、全人口の約3パーセント)の全財産を没収して日本に追い払った。これは法的にも、社会的にも、経済的にも、暴挙の極みだったと僕は思っている。しかし当時の(今も同じことだが)朝鮮人の知能と徳能から、これ以上を期待するのは無理であろう。
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