外国人から見た日本と日本人(20)

2010.09.07 Tuesday 00:21
くっくり



 よく注意してみると、仕事に対するこの一風変わった態度は、日本人の国民性であり、路上や建物内やその他の造営物の中で働く人々全部が、ただぶらぶらしたり、ぼんやりして怠けたりしているように見えた。東京に高架鉄道が建設されることになったとき、私はその仕事振りをみて、一体いつになったらでき上がるのだろうかと思った。しかし、しばらくするうちにわかったことは、進捗は遅々たるものであっても、結果は良好であり、いつまでたってもできそうにないと思ってがっかりした後で、ある朝起きてみると、全く突如として、予期もしなかったうちにでき上がってしまっているのである。

 この年取った草取り婆さんの場合も同じことだった。その賃金は微々たるものだったが、お茶や煙草は飲み放題になっていたので、食事代わりにしているのではないかと思ったほどだった。

■朴贊雄(パク・チャンウン)=韓国人。1926(大正15年)京城(現ソウル)生まれ。1939年(昭和14年)京城師範学校付属第2小学校卒業。1945年(昭和20年)旧制京畿中学卒業。その後ソウル大学法学部、ニューヨーク大学行政大学院を卒業。1951年(昭和26年)から1954年(昭和29年)まで陸軍通訳将校として朝鮮戦争参戦。延世大学講師や仁荷大学副教授などを経て、1975年(昭和50年)カナダに移住。トロント韓国民主社会建設協議会を設立。著書に「朴正熙、全斗煥の乱」などがある。戦後、韓国の民主化を追求し続けた知識人。2006年5月死去。
「日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想」より

 当時朝鮮は日本の植民地になったおかげで、文明開化が急速に進み、国民の生活水準がみるみるうちに向上した。学校が建ち、道路、橋梁、堤防、鉄道、電信、電話等が建設され、僕が小学校に入るころ(昭和8年)の京城(けいじょう=現ソウル)は、おちついた穏やかな文明国のカタチを一応整えていた。

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