戦争賛美から米崇拝へ『朝日の変節』のルーツ「SAPIO」01.11.14号

2010.08.31 Tuesday 00:53
くっくり



 さらに重要な社説がある。9月22日「戦争の責任 果たして如何」がそれだ。この社説はある意味で面白い。非常に重要な背景があるからだ。この日付を頭において、以下を読み進めていただきたい。

 戦後、GHQによる日本占領政策の中で、メディアに対する検閲があった。最初は事後検閲、つまり新聞発行後に検閲をしたが、後になると事前検閲に変わる。発行前に記事をGHQに見せ、許可を得よ、というものだ。

 じつは朝日新聞は9月18日、GHQより48時間の発行停止命令を受けた。原因は、鳩山一郎衆議院議員(後の戦後6人目の首相。鳩山由紀夫民主党代表の祖父)のインタビュー記事を掲載したこと。鳩山は、「『正義は力なり』を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜(むこ)の国民殺傷が……戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであらう」と、アメリカの戦争犯罪について言及した(9月15日付)。

 この記事や当時頻々と起きていた米兵による強盗、強姦事件の報道などがGHQの逆鱗(げきりん)に触れ、朝日は戦後の新聞で初めて、発禁処分を受けた。昭和20年9月19、20日の2日にわたって、新聞を発行することが出来なくなった。

 つまり、22日の社説「戦争の責任 果たして如何」は、発禁が明けた直後の社説である。

 「物的戦力と科学力において、日本が米国に遙に及ばないことは、初めから判りきつてゐたことである。我が指導者が、この事実を知らなかつたとすれば、無智、無能これに過ぐるものはないし、もし知つて国民を戦争に駆り立てたとすれば、罪万死に値しよう」「遂に国民を大戦争の渦中に投じた我国指導者の責任こそ、この際、十分に糾明せられて然るべきであらう」

 自らの戦争指導者に対する追従を棚に上げた朝日新聞はさらに、「軍国主義の絶滅と政治の民主々義化」は「日本自体の要求だと、万人が異口同音に叫ぶであらう」、と書く。対日初期占領政策が要求するものを察知して、全面的にそれに追従することにしたのである。戦争責任は指導者にあって、アメリカはわれわれ自由主義・民主主義者を救い出した救護者だ、という言い方で巧妙に責任を回避したのだ。

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