国の行く末を案じ…【将兵万葉集】(5)戦争裁判の犠牲者-2

2010.08.14 Saturday 02:11
くっくり



 太田清一
  鹿児島県出身、憲兵大佐。
  昭和二十一年二月二十三日マニラに於いて法務死。五十歳。
  ※チャンネル桜旧掲示板に、
  太田憲兵大佐の遺稿が掲載されています。
   ・2005-06-13 20:18:39 No.173848
   ・2005-06-13 20:56:05 No.173865


 虐げられし日に……
■戦犯を釈放せよと言う声も連合国裁判肯定の上に立つ
■人間の権利を主張する時も我等は嘆願と書かねばならず
 (巣鴨)

 比島死刑囚よりの手紙……
■吾よりも若き学徒兵君たちの死の手記の文字かくも美し
 (家族からの推薦)

 小林逸路
  秋田県出身、陸軍少尉。歩兵第十七連隊小隊長。
  昭和二十二年二月十一日マニラ米軍法廷にて終身刑。


■死刑の求刑受けてよりの日々 日本人らしく死なむと思ふ
■死刑囚として残る友等が手を拍ちて送りてくれぬああその拍手の音
 (巣鴨)

 鈴木義輔
  京都府出身、陸軍大尉、名古屋高商卒。昭和十七年に学徒動員。
  比島の武装蜂起現地人の取調べ責任で重労働三十年の判決。


■友皆を楽しませんと演芸の練習に汗する彼も死刑囚
 (虜囚)

 中西正二
  京都府出身、陸軍憲兵伍長。
  マニラ法廷で死刑の判決、後減刑され釈放。


 処刑された十四人のうち特に親しき五人を思い……
■「後から来い気を落とすなよ」と書きおきし今はの友の文に泣きたり
 (虜囚)

 山ノ上一郎
  神奈川県出身、陸軍中尉。
  マニラの法廷で戦犯死刑の判決を受け、後減刑釈放。

 ………………………………………………………………………………

【【【巣鴨関係】】】


 同僚六名死刑執行さる……
■はふり落つる涙止めがたく目つむればありし日の六人幻しに立つ
■同胞と言ふ語のもてる暖かさを信じ生き来し日本人なり吾は
 (巣鴨)

 大島紀正
  新潟県出身。シベリア抑留後、
  横浜米軍軍事法廷で重労働四十六年の刑、巣鴨に入所。


■現身はとはの平和の人柱七たび生れ国に報いむ

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