国の行く末を案じ…【将兵万葉集】(5)戦争裁判の犠牲者-2

2010.08.14 Saturday 02:11
くっくり



 宮崎凱夫
  高知県出身、海軍大尉、兵学校卒。
  昭和二十二年九月二十五日ラバウルに於いて法務死。二十九歳。
  ※宮崎海軍大尉は死刑の判決を受けた後、
  獄中で手記『亡者の寝言』を残した。
  内容は海軍兵学校の最後の卒業生・第75期の有志による
  「古鷹パソコンクラブ」参照。
  ※死刑執行直前の早朝、
  宮崎海軍大尉が同じ収容所内の同僚に対し遺した訣別の言葉。
  「九月二十五目朝
   死とはこんなに楽なものだったかとつくづく思う。
   これが、自分が平素考へて居た様に
   祖国再興に少しでも寄与してからの死だったら、
   もっと楽しい気持であろう。
   今朝は今迄の中で一番清々しい気持だ。
   皆々様の御健闘を祈る。
   最後迄愉快に過されん事を。
   御機嫌よう」

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【【【仏領インドシナ関係】】】


■越南の地に死すとも我が心祖国に桜花(はな)の咲く日祈らむ
 (遺族からの提供)

 富田文市
  静岡県出身、陸軍少佐、サイゴン憲兵分隊長。
  昭和二十二年八月十二日サイゴン・ビルギルに於いて法務死。三十五歳。


 辞世……
■あなうれし散りゆかんかな笑ひつつ国に尽くせし我が身なりせば
 (死して祖国に生きん)

 福田義夫
  大分県出身、陸軍大尉、士官学校卒、第二二五連隊第七中隊長。
  昭和二十六年三月十九日サイゴンに於いて法務死。三十一歳。
  ※シャツの裏に書いて家に送った歌。
  ※チャンネル桜旧掲示板に、
  福田陸軍大尉の遺稿が掲載されています。
   ・2005-06-03 11:47:24 No.168481
   ・2005-06-03 12:55:03 No.168510

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【【【フィリピン関係】】】


■何もかも忘れんとする我ながら尚気にかかる国の行く末
 (世紀の遺書)

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