国の行く末を案じ…【将兵万葉集】(5)戦争裁判の犠牲者-2

2010.08.14 Saturday 02:11
くっくり



 渡辺正作
  徳島県出身、憲兵軍曹。
  昭和二十一年十二月十七日マレー半島ペナンに於いて法務死。三十七歳。

 ………………………………………………………………………………

【【【香港関係】】】


■吾が真実父なる神はみ心に留め給へば死をも厭はじ
 (世紀の遺書)

 平野 昇
  神奈川県出身、陸軍少佐、護北兵団参謀。
  昭和二十二年九月十六日香港に於いて法務死。三十一歳。


■ますらをは弓矢のほかの憂き日にも国を念ひて心ゆるがじ
 (世紀の遺書)

 山田規一郎
  佐賀県出身、憲兵曹長。
  昭和二十一年十月一日香港に於いて法務死。三十歳。
  ※チャンネル桜旧掲示板に、
  山田憲兵曹長の遺稿が掲載されています。
   ・2005-04-07 15:58:05 No.140870
   ・2005-04-07 16:37:54 No.140894

 ………………………………………………………………………………

【【【濠州関係】】】


■たとえ身は南海(みなみ)の果てに果つるとも霊は帰りて御国守らん
 (世紀の遺書)

 大久保正雄
  広島県出身、陸軍大尉。
  昭和二十一年八月三十一日ラバウルに於いて法務死。
  ※絶筆。「数分後にここを去ろうと言ふのに
  国に帰るやうな気がしてならぬ」と添えられていた。


■あしざまにののしられつつ外国(とつくに)に首絞められて我果つべしや
 (世紀の遺書)

 篠原多麿夫
  徳島県出身、海軍大佐、海軍大学卒。
  昭和二十六年六月十一日マヌス島に於いて法務死。四十八歳。
  ※BC級戦犯容疑者の最後の処刑。
  篠原海軍大佐のほか西村琢磨陸軍中将など五名の方々。
  オーストラリア軍人は五名のご遺体を暴風雨の海中に投げ捨てた。
  「日本國戦死者遺体収容団」のHPを参照。


■思ひても術なき身とは知りながら皇御国の道は如何にと
■行く道はけはしからむ心してつとめ尽くせよ残る吾が友
 (世紀の遺書)

[7] << [9] >>
comments (12)
trackbacks (0)


<< 「アンカー」はずれ者日本&菅談話と在サハリン韓国人支援のおかしさ
「日本の、これから」日韓の未来 古屋君と崔監督&ドラマ「歸國」 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]