菅談話と戦後補償 仙谷官房長官は恐ろしい人です

2010.08.07 Saturday 04:40
くっくり



 閣議では、古川貞二郎官房副長官が村山談話を読み上げた。閣僚は誰一人発言せず、出席者によると、「水を打ったような静けさだった」という。

 閣議後の会見で、村山首相は国策を誤った時期について「断定的に言うのは適当ではない」と明言を避けた。日本がいつの時代までさかのぼって謝罪しなければならないのか、今も明確ではない。

 当時、運輸相として初入閣した平沼赳夫氏*2は後に、産経新聞の取材にこう語っている。

 「事前の相談は全くなく、唐突に出た。社会党出身とはいえ、何でこんなの出すのかなと思った。ちょっと問題のある文章だなと思ったが、あえて発言しなかった。今思えば率直に思ったことを言っておけばよかった」

 この年は、村山談話発表後も、閣僚の発言が中韓両国から非難される状況が続いた。

 10月、村山首相が参院本会議で「日韓併合条約は法的に有効に締結された」と答弁したことにも韓国が反発し、首相は「相互の立場が平等ではなかった」「舌足らずだった」などと釈明した。

 11月には、江藤隆美総務庁長官が内閣記者会のオフレコ懇談で「植民地時代に日本は韓国にいいこともした」と話した内容が月刊誌に漏れた。村山首相は江藤長官に厳重注意したが、韓国は納得せず、江藤長官は辞任した。

 その江藤氏も生前、村山談話について「閣議で突然、首相談話が出てきて仰天した。(反対と)言っても始まらないと思って黙っとった」と話していた。

*2 村山談話が出た時の運輸大臣を亀井静香さんと書いてあるサイトが多数ありますが、村山談話が出たのは村山改造内閣の時で(95年8月8日〜)、運輸大臣はすでに亀井さんから平沼さんに交代しています。

 平沼さんや江藤さん(この人も村山改造内閣で入閣)のような保守の大臣がいたのに、なぜ村山談話はこうも簡単に通ってしまったのでしょうか?

 平沼さんは初入閣で雰囲気に呑まれてしまったとかそういうことがあったのかもしれませんが、じゃあ大ベテランの江藤さんは?
 何か力学みたいなものが当時の政権内で働いてたんでしょうか?

 今回の菅談話については、幸か不幸か突然ではなく、どうやらこんなものが出るらしいということを私たちは前もって知ることができました。

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