【日韓併合】外国人から見た日本と日本人(19)

2010.08.02 Monday 20:34
くっくり


 すると朴さんは「まあまあ」と言ってなだめた。流暢な日本語でしたよ。

 「私は世界で日本人はまだマシな統治をしたと思うよ。実は私には経験があるんだ。私の家は貧農だった。親は猫の手も借りたいから子供が学校へ行くのも嫌がった。ところが日本人がやってきて、子供を学校に入れないと親を刑務所に入れるぞと脅した。親は嫌がったけれど私は小学校に行きました。
 すると小学校の日本人の先生が『お前よくできるな。もっと上に行きたいだろう』というから、『ハイ』といったら、上級の近代教育を受けたいなら師範学校に行きなさい。師範学校に行ったらタダで高等教育を受けられるという。そして師範学校に行ったらまたそこの日本人の先生が『お前は優秀だなぁ。この時代、先生も必要だが、やっぱり軍人だぞ』といって、軍人になるために満州の軍事学校に行った。そこの教官が非常に見込んでくれて、『お前がここにいるのは惜しい』といって市ヶ谷の正式の軍官学校へ行った」

田母神敏雄:

 日本では戦後、朝鮮半島や中国大陸、満州で平和に豊かに暮らしているところに日本軍が入っていったために、彼等の生活がかき乱されたと歴史を教えていますが、全く逆なんですよね。

石原慎太郎:

 朝鮮の人達の本意か不本意かといえば、本意ではないでしょう。でもその時、朴さんはこう言いました。

 「考えてみろ。あの時に朝鮮に力があったか。ほっといたら中国の属国になって、清朝はすぐに滅びてもっと混乱しただろう。清朝ではなくロシアに統治されたら、北も南もないぞ。半島全体が共産化された」

■呉善花(オ・ソンファ)=1956年(昭和31年)、韓国・済州島生まれ。東京外国語大学地域研究研究科修士課程(北米地域研究)修了。拓殖大学国際学部教授。日本評論家。日本に帰化済。
「正論」2002年12月号より

 韓国の教科書では、民衆はいかにひどい弾圧を受けたか、それにけっして屈することなくいかに勇敢に闘ったか、戦後の解放を勝ち取るまでの間、いかに徹底して植民地政策に対する自主救国運動を展開し続けたか、というように、激しい抵抗と闘争によって韓国人はがんばってきたと書かれている。もし、本当にそれだけ激しい闘争があったのならば、韓国全土には常時強力な軍事支配が布かれ、人々の生活のすみずみまでが監視状態におかれて行動の自由を奪われたはずである。

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