【日韓併合】外国人から見た日本と日本人(19)

2010.08.02 Monday 20:34
くっくり


○ヘレン・ミアーズ=アメリカ人。東洋学者。1920年代から日米が開戦する直前まで2度にわたって中国と日本を訪れる。1946年(昭和21年)に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より

 今日、私たちが日本の韓国「奴隷化」政策を非難するのは、要するに日本の植民地経営が著しく拙劣だったからである。しかし、一般に「進歩」の基準とされている、病院、学校、官庁(とくに現地行政機関)に占める韓国人の割合、通信施設の整備、産業か、資源開発などの分野でみると、日本の経営は他の植民地主義諸国にくらべて劣っていなかったばかりか、むしろ勝っていたといえる。

 今日、日本の韓国経営を否定する人は、日本の主な目的が韓国国民の安寧福祉より自国の安全保障と経済的利益であったことを指摘する。しかし、そういう状況はヨーロッパの植民地では当たり前のことだった。

○朴正煕=1917年(大正6年)生まれ。韓国の軍人・政治家。大邱師範学校を卒業し、慶北聞慶国民学校で3年間教師をした後、日本国籍のまま満州国軍の新京軍官学校で学び、同校を首席で卒業。優秀な成績のため、日本の陸軍士官学校に留学。1944年(昭和19年)に日本の陸軍士官学校を3位の成績で卒業(57期)し、終戦時は満州国軍中尉。クーデターで政権を奪取して第5〜9代大統領(在任:1963年〜1979年)を務め、軍事独裁・権威主義体制を築いた。1979年(昭和54年)、側近によって射殺された。
「WiLL」2009年4月号掲載 田母神敏雄氏と石原慎太郎氏の対談より

田母神敏雄:

 石原さんが言われたように歴史の評価は相対的なものだとするならば、日本の方がずっと穏健な、朝鮮半島や中国に対する対応をしたと思うんです。

石原慎太郎:

 私もそう思いますね。福田赳夫さんは韓国の公式訪問を必ず最初にすると言ったけど、結局大平さんに負けてできなかった。それで朴(正煕)さんが国賓として呼んでくれたので、私も一緒に行きました。
 ゴルフをやった後にみんなで歓談した時に、あの頃の韓国の閣僚はみんな兵役の経験者で、酒を飲んでくると勢いもついてきて、日本の統治に文句を言ってきた。

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