【日韓併合】外国人から見た日本と日本人(19)

2010.08.02 Monday 20:34
くっくり


「朝鮮紀行—英国婦人の見た李朝末期」より

 朝鮮の言語は二言語が入り混じっている。知識階級は会話のなかに漢語を極力まじえ、いささかでも重要な文書は漢語で記される。とはいえそれは一〇〇〇年も昔の古い漢語であって、現在清で話されている言語とは発音がまるで異なっている。朝鮮文字である諺文〈オンムン〉[ハングル]は、教養とは漢籍から得られるもののみとする知識層から、まったく蔑視されている。朝鮮語は東アジアで唯一、独自の文字を持つ言語である点が特色である。もともと諺文は女性、子供、無学な者のみに用いられていた。

〈中略〉一八九四年七月、大鳥氏(引用者注:大鳥圭介)は官報を鮮明な活版印刷で発行するという有益な刷新を行った。そして翌年一月には漢字と「無知な文字」とされていた諺文の混合体が官報に用いられ、一般庶民にも読めるようになった。

■イザベラ・バード=イギリス人。1878年(明治11年)以降、日本各地を旅した。当時の女性としては珍しい旅行家で、世界の広範な地域を旅行。1894年(明治27年)1月から1897年(明治30年)3月にかけ、朝鮮にも旅行している。
「朝鮮紀行—英国婦人の見た李朝末期」より

 今日の朝鮮人は何世紀にもわたる弱い立場の産物であるとはいえ、それでも朝鮮で一年近くをすごし、そこに住む人々をおもな研究対象とした結果、わたしは一八九七年の明らかに時代退行的な動きがあったにもかかわらず、朝鮮人の前途をまったく憂えてはいない。ただし、それには左に掲げたふたつの条件が不可欠である。

 I 朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない。
 II 国王の権限は厳重かつ恒常的な憲法上の抑制を受けねばならない。

〈中略〉戦争(日清戦争)を起こした表向きの理由は、日本政府は慎重に期してそれに固執して言えるが、日本にとって一衣帯水の国が失政と破滅の深みへと年々沈んでいくのを黙って見すごすわけにはいかない、国政の改革が絶対に必要であるというものだった。日本がこの例外的な責務を引き受けたその最終目的はどこにあるか、それを憶測する必要はない。日本がたいへんなエネルギーをもって改革事業に取りかかったこと、そして新体制を導入すべく日本が主張した提案は特権と大権の核心に切りこんで身分社会に大変革を起こし、国王の地位を「給料をもらうロボット」に落ちぶれさせたものの、日本がなみなみならぬ能力を発揮して編みだした要求は、簡単で自然な行政改革の体裁を示していたことを指摘すればこと足る。

[7] << [9] >>
comments (15)
trackbacks (2)


<< 菅さんグダグダ
「アンカー」現地取材でわかった普天間移設問題の現状 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]