2010.08.02 Monday 20:34
くっくり
「朝鮮紀行—英国婦人の見た李朝末期」より
日本人はかつてイギリスがエジプトに対して行ったように、朝鮮の国政を改革するのが自分たちの目的であると主張した。たしかに自由裁量が許されていたなら、彼らはそれをなし遂げたはずだとわたしは思う。とはいえ、改革事業は予想をはるかに越えて難航し、井上伯(引用者注:井上馨)がほぼにっちもさっちもいかない状態にあることは明らかだった。伯爵は「使える道具がなにもない」と考え、それをつくれたらという希望のもとに、上流階級の子弟多数を二年の予定で日本に留学させた。最初の一年は勉学に努め、つぎの一年は官庁で実務の正確さと「道義の基本」を学ばせるのがねらいである。
〈中略〉朝鮮人官僚界の態度は、日本の成功に関心を持つ少数の人々をのぞき、新しい体制にとってまったく不都合なもので、改革のひとつひとつが憤りの対象となった。一般大衆は、ほんとうの意味での愛国心を欠いているとはいえ、国王を聖なる存在と考えており、国王の尊厳が損なわれていることに腹を立てていた。官吏階級は改革で「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、ごまんといる役所の居候や取り巻きとともに、全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ、改革には積極的にせよ消極的にせよ反対していた。政治腐敗はソウルが本拠地であるものの、どの地方でもスケールこそそれより小さいとはいえ、首都と同質の不正がはびこっており、勤勉実直な階層をしいたげて私腹を肥やす悪徳官吏が跋扈〈ばっこ〉していた。
このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。公正な官吏の規範は存在しない。日本が改革に着手したとき、朝鮮には階級が二つしかなかった。盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。「搾取」と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じてのならわしであり、どの職位も売買の対象となっていた。
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