日本統治を直視する韓国の静かなる肉声「SAPIO」01.9.26号
2010.07.27 Tuesday 00:26
くっくり
大戦末期、満州になだれ込んだソ連軍の暴虐によって多くの日本人の生命が奪われた。難民と化した無防備な日本人に抗する術はなく、現・中国延辺朝鮮自治州も悪行の猛火にさらされた。
この地獄絵を目の当たりにした当時25歳の朱極南(シュ・ケクナム)氏(82)は、1人でも多くの日本人を救おうと立ち上がった。
「……そのためには知恵と度胸が必要でした」
そう当時を振り返る朱氏は、逃げ惑う400人もの日本人避難民を教会に匿(かくま)い、「彼らは朝鮮人だ」と偽ってソ連軍の無差別殺戮からその生命を守ってくれたのである。
朱氏はこのときの思いを語る。
「私はクリスチャンですから、きっと神様が日本人を助けてくれたんだと信じています。……『日本人だ』『韓国人だ』というのはね、それは“小さい人”の考え方です。“大きい人”は、国境を超越して……当時韓国はまだ独立していませんでしたから、私は日本人の立場で働きました」
当時は、日本人と韓国人に分け隔てはなく、“同じ国民”として共に助け合っていたのが実状だと、朱氏は力説する。
「私は満州で日本人と仲良くやっていましたよ。日本人から信頼されてね。……いま韓国人で日本を悪くいうのは、ごく少数の人だけですよ!」
こうして封印された交流秘話を数え上げれば枚挙に暇がない。
毎年5月10日、ソウル市郊外の李王家の墓陵・金谷陵英園において、李王朝最後の皇太子と李方子(り・まさこ)妃殿下の忌辰祭が挙行されている事実もまた日本ではまったく報道されていない。
李方子妃殿下とは、先に崩御された皇太后陛下の従姉妹にあたる梨本宮方子女王殿下であり、李王朝の皇太子・英親王李垠(リ・ギン)殿下(李朝代26代皇帝・高宗の令息)に嫁いだ日本の皇族である。
大正9年4月、日韓併合から10年後の婚礼は「融和」の実践として広く内外に報じられたが、戦後、日韓両国のマスコミは、一貫してこの御成婚を“政略結婚”と揶揄し続けてきた。
がしかし、方子妃殿下は、戦後韓国で福祉事業にその生涯を捧げ、多くの韓国人から尊敬されていたことから、命日にあたる毎年5月10日に、いまも李王朝の末裔達によって忌辰祭が厳粛に執り行われているのである。
平成11年の10周忌には、忌辰祭に合わせて李方子妃殿下の遺作展がソウル市内で開かれた。
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