日本統治を直視する韓国の静かなる肉声「SAPIO」01.9.26号

2010.07.27 Tuesday 00:26
くっくり



 我々日本人は、こうした韓国人の人々の協力と尊い犠牲の上に今の日本があることを認識し、感謝すべきであろう。

 しかしながら今日の韓国は、そんな感謝など受け入れる情勢ではない。

 戦後15年に及ぶ李承晩(イ・スンマン)大統領の在任期間中、反日プロパガンダ・反日教育は徹底され、対日協力の事実は、韓国の近代史からきれいさっぱりと削除されてしまったのである。

 戦後の韓国では、日本への協力者は「売国奴」とみなされ、職を失うなど肩身の狭い思いをしてきたという。その一方で、朝鮮戦争時の韓国軍高官の多くは日本軍時代に武勇を馳せた元軍人や、陸軍士官学校をはじめ満州軍官学校出身者で占められていたのだ。中には最後まで日本刀を帯刀して戦った金錫源(キム・ソクウォン)将軍のような英傑もいた。

 しかし休戦後、こうした人々の多くも1945年までの軍歴について口を閉ざしたのである。

 そんな戦後の風潮の中、元学徒兵の鄭●永(チョン・ギヨン)氏(82)は、30年の歳月をかけ、私財をなげうって大東亜戦争における韓国人戦没者の慰霊碑である「太平洋戦争犠牲韓国人慰霊碑」を釜山・永楽墓地に建立(平成11年5月13日)したのであった。鄭氏は、

 「反抗的であれ従順的であれ、また逃避的であれ妥協的であれ、いずれにしてもその学徒兵生活を通じて一時なりとも民族を忘れたことがあろうか」

 と、祖国を奪われた屈辱感を胸に訴えた。しかしながら、次のように続けるのだ。

 「私は学徒兵の同志にも話しているのですが、その当時、日本の気持ちとはちがいながらも、日本が金をかけて私達学徒兵を教育してくれたことが、韓国の建国に貢献したんです。日本が最後の土壇場でしてくれたことをありがたく思いましょうと」

 軍部、教育界、そして実業界の学徒兵出身者が日本統治時代に受けた教育を生かして韓国の建国に貢献したのだという。鄭氏は結ぶ。

 「日本と韓国は、お互い良いところは認め合いながら、もっと過去を昇華したかたちで手をとらなければならない」

 さらにこの時代、我々日本人が是非とも知っておきたい美談も生まれた。 

image[100726-sap2.jpg]

「同じ国民として共に助け合った」

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