勝者に裁かれ【将兵万葉集】(4)戦争裁判の犠牲者-1

2010.07.20 Tuesday 00:29
くっくり


  塩田源二陸軍中尉が父母に宛てた手紙が掲載されています。
  (昭和六十一年十一月靖國神社社頭掲示)


■我が魂は永久に消えまじはらからと共に励みて平和来むまで
 (大東亜戦争殉難遺詠集)

 鈴木喜代司
  東京都出身、憲兵曹長。
  昭和二十一年十一月九日ラングーンに於いて法務死。三十一歳。

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 戦争裁判の犠牲となった方々の歌は、概ね次のように分類されます。

 ・故郷に残る家族を思う歌
 ・ともに戦犯とされた友を思う歌
 ・戦犯とされた理不尽さを訴える歌
 ・国の行く末を憂える歌
 ・国は破れたがきっと立ち上がってくれよという祈念の歌

 首相や閣僚の靖国神社参拝問題ではもっぱら、いわゆる「A級戦犯」のことだけが俎上に上り、「BC級戦犯」については見落とされがちです。

 横浜やマニラなど世界49カ所の軍事法廷で裁かれた「BC級戦犯」のうち、1068人が処刑されました。冤罪も多数ありました。彼らの尊い命と引き換えに平和条約が締結されたと言っても過言ではありません。

 「国敗れ つみ人となり 死ぬる身は 世界平和の杭となるなり」

 7歳と2歳の娘を残し、昭和24年2月12日巣鴨において処刑された片岡正雄陸軍曹長(享年30歳)の辞世の歌です。

 数々の遺書や遺詠に見られるように、彼らは「祖国の礎石になる」と書き残し、その役割を引き受けて逝かれました。
 今の日本は彼らの「死体」を礎石として成り立っているのです。


※おすすめ単行本
image[1007-3koba.jpg]・【国民の遺書 「泣かずにほめて下さい」靖國の言乃葉100選】

 靖国神社では昭和35年以来、英霊たちの遺書、遺稿を毎月1通ずつ境内の鳥居横に掲げてきました。これは神社が発行する冊子「英霊の言乃葉」にまとめられ、現在9集まで出されていますが、靖国神社でしか買うことができませんでした。この本は靖国神社の全面協力のもと、その膨大な遺書や遺稿の中から小林よしのり氏が、現代の日本人に特に伝えたいもの、残したいもの100編を選んで再編集し、初めて一般書籍化したものです。

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