勝者に裁かれ【将兵万葉集】(4)戦争裁判の犠牲者-1

2010.07.20 Tuesday 00:29
くっくり


  大場憲兵大尉の「我が独子憲次に贈る遺書」が掲載されています。
  爆撃により母、兄、姉妹を失い独りになった我が子に対し、
  上海監獄から贈ったものです。
  ・2004-10-15 20:55:29 No.74478


■新しき生命に生きん幼児の幸を祈りて吾は往くなり
 (世紀の遺書)

 桑島恕一
  山形県出身、軍医大尉。
  昭和二十三年三月一日上海に於いて法務死。三十歳。
  ※桑島軍医大尉は奉天陸軍病院にて入院した米軍の俘虜患者を
  献身的に治療に当り、多くの俘虜の生命を救ったと言われているが、
  何の非情ぞ他に死亡者が続出したのでその責任を問われたと言う。
  この戦争裁判の杜撰さを痛感する。


■子の孫のその子の孫よ千代かけて祖国を守れ心つくして
■天にも地にも我はづるなし国民ののび行く力我祈るなり
 (世紀の遺書)

 酒井 隆
  東京都出身、陸軍中将、陸軍大学卒。
  第二三軍司令官で昭和十八年に一線を退いたが、
  二十一年九月南京で法務死。


■靖国の杜にしづもる戦友よこの恥に逝く吾を迎ふるや
 (大東亜戦争殉難遺詠集)

 高橋雷二
  福岡県出身、憲兵曹長。
  昭和二十二年十一月一日北京に於いて法務死。三十一歳。


 獄中歌日記 三月九日…
■国の為尽くせし事の今の世に迎えられざる身の運命哀し
 (世紀の遺書)

 高谷巌水
  大阪府出身、憲兵軍曹、華南派遣憲兵隊勤務。
  昭和二十二年四月広東にて法務死。二十八歳。
  犠牲精神の権化と言われた。


■身はたとへ異域の土となるとても魂は返らん君が御側へ
 (世紀の遺書)

 谷 寿夫
  東京都出身、陸軍中将、陸大卒、第六師団長。華北・南京作戦参加、
  南京事件に関して二十二年四月南京で法務死。六十五歳。


■清く散るこの身惜しまじ若桜東洋平和の犠牲(いけにえ)ならば
 (世紀の遺書)

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