勝者に裁かれ【将兵万葉集】(4)戦争裁判の犠牲者-1

2010.07.20 Tuesday 00:29
くっくり


 大東亜戦争終結後、各地で戦争裁判が行われました。
 勝者の敗者に対する一方的な裁判であり、日本に対する報復の意味合いが強かったとも言われています。
 裁かれた方々の中には人違いで法廷に立たされた方もいましたし、部下あるいは上司の罪を背負って刑死した方もいたそうです。

 ちなみに、「戦犯」とは戦勝国が決めた呼称です。
 戦犯裁判による刑死者や収監中死亡者を、厚生労働省は「公務死」あるいは「法務死」、靖国神社では「昭和殉難者」と表現しています。
 この「太平洋戦争 将兵万葉集」では「法務死」と表現されています。

 死刑判決を受けた戦犯の方々の多くは遺書・遺髪等を遺すことが許されず、遺骨も秘密裏に焼却・埋葬されました。
 隠し持った鉛筆などで、紙切れ、トイレットペーパー、敷布の断片、シャツ、ハンカチなどに密かに遺書を書き(中にはご自身の血で書かれたものもあります)、教誨師などに託して遺族に届けてもらった方々もいましたが、それも一部の方だけでした。

※和歌の下の( )は出典です。
 今回転載させていただく歌の出典の多くは「世紀の遺書」となっています。
 「世紀の遺書」は、巣鴨プリズン内に置かれた「巣鴨遺書編纂会」の呼びかけで遺族その他から寄せられた遺書や遺稿であり、多くの人の協力と援助によって1953年(昭和28年)12月に出版されました(wikipedia参照)。

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【【【中国関係】】】


 兄へ……
■日の本は幻の国夢の国なつかしの国帰れざる国
 (祖国への遺書)

 安藤茂樹
  香川県出身、憲兵准尉、華南憲兵隊勤務。
  昭和二十二年一月十日広東に於いて法務死。


 我が子に贈る辞世……
■今は唯何も恨まず諸人の代わりと散りて我は往くなり
 (世紀の遺書)

 大場金次
  静岡県出身、憲兵大尉、東京電機大学卒。
  昭和二十三年六月二十四日上海に於いて法務死。三十九歳。
  ※チャンネル桜旧掲示板に、

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