世界が忘れない日本の物語「ビーバップ!ハイヒール」より
2010.06.21 Monday 00:24
くっくり
17年前に神戸からポーランドに帰ってきた、あのシベリア孤児の一人だ。
イエジはやっと帰ってきた祖国を愛し、ナチスドイツと戦うが、抵抗は長く続かず、何と再び極寒のシベリアへと送られてしまったのだった。
……時は流れ1983年、一人の老人が日本の地を踏みしめた。
あのイエジだった。
彼は二度にわたるシベリア送りを奇跡的に生き抜き、61年ぶりに日本へやってきたのだ。
イエジは子供時代にお世話になった日本の関係者と再会を果たし、こう言った。
「私の仲間の誰もが、ここでこうして感謝の言葉を述べたかったに違いありません。その仲間の分も一緒に、心からのお礼を述べさせていただきます。本当にありがとうございました」
61年の時を超え、次々と甦ってくる子供時代の記憶。
感極まったイエジは、思い出したように口を開いた。
♪もしもしかめよ かめさんよ
せかいのうちで おまえほど
あゆみののろい ものはない
どうしてそんなに のろいのか♪
image[100610-25-1osaka.jpg]
あの日、日本で覚えた歌。
忘れられない感謝の気持ちが、61年ぶりにこの歌を思い出させたのだ。
今、シベリア孤児たちは皆、その生涯を閉じた。
誰一人この世には残っていない。
しかし、ポーランドの人々は、90年経った今も、あの時、日本人から受けた善意を決して忘れていないという。
〈スタジオトークより〉
井沢元彦
「ポーランドはものすごい親日国。主な大学に日本学科がある」
「帰国後、孤児たちはお医者さんとかボランティアとか、人を助ける職業に就かれた方が多いという。実は阪神淡路大震災の時に、両親を失った子供たちを、孤児たちの子孫とか関係者がポーランドに招待してくれた。それみんな知らないでしょう?あの時の恩を忘れない、恩を返したいという人たちは未だにいるんですよ。ちょうど神戸だったからね。孤児たちが来たのは」
筒井康隆
「震災の時、ポーランドの人たちは、親を亡くした子供たちが身寄りがない、引き取り手がないと思っていた。だから最初は引き取りますという話だったらしい」
[7] << [9] >>
comments (45)
trackbacks (1)
<< 民主党の存在が許されるのは野党までだった
「アンカー」消費税10%発言の裏側に潜む菅首相の狙いと野望 >>
[0] [top]