世界が忘れない日本の物語「ビーバップ!ハイヒール」より
2010.06.21 Monday 00:24
くっくり
シベリアから日本に到着した幼い孤児たちは、総勢765人。
誰もが青白くやせこけ、病気で弱っている子供も多かった。
出迎えた人々は、着ていた洋服を全部脱がして、すぐに熱湯消毒し、代わりに日本の浴衣を着せてあげた。
この時、浴衣のそでに飴やお菓子を入れてあげ、孤児たちはとても喜んだという。
このニュースは、直ちに日本全国に報道された。
image[100610-21sinbun.jpg]
「貧しい食事に哀れな姿」……。
見出しを受けて、全国から寄付金はもちろんのこと、おもちゃや人形など、子供たちが喜びそうな物がたくさん集まった。
そして日本の子供は、彼らに日本の遊びを教えてあげたという。
彼らの面倒をみた女性たちは、親のない子供たちにとって母親代わりとなった。
「はーい、みんな、いい?……さん、はい!」
(再現VTR……日本の童謡を歌うポーランド孤児たち)
image[100610-22kimono.jpg]
♪もしもしかめよ かめさんよ
せかいのうちで おまえほど
あゆみののろい ものはない
どうしてそんなに のろいのか♪
こうして人の温かみに触れ、順調に健康を取り戻した孤児たちは、ポーランドに帰ることに。
image[100610-23kikoku.jpg]
別れの港で彼らは、片言の「ありがとう」を叫び、日本の友だちやお母さんとの別れを惜しんだという。
その後、このシベリア孤児たちはどうなったのか?
image[100610-24natisu.jpg]
1939年、第二次世界大戦の発端となる、ナチスドイツによるポーランド侵攻が始まる。
そんな情勢の中、ナチスと戦うレジスタンス組織を指導する一人の青年がいた。
イエジ・ストシャウコフスキ。
[7] << [9] >>
comments (45)
trackbacks (1)
<< 民主党の存在が許されるのは野党までだった
「アンカー」消費税10%発言の裏側に潜む菅首相の狙いと野望 >>
[0] [top]