世界が忘れない日本の物語「ビーバップ!ハイヒール」より

2010.06.21 Monday 00:24
くっくり



リンゴ
「教育は大きい。日本は戦後教育で、日本が外国に悪いことしたばっかり習って、日本が外国にいいことしたことは教えてもらってない」

※くっくり注:エルトゥールル号遭難事件をコラムとして扱っている日本の教科書は、中学歴史教科書についていえば、2009年に採択にかけられた全9社のうち、大阪書籍と自由社と扶桑社のみでした(撃論ムック【世界を愛した日本】「中学歴史教科書2009年度版 徹底比較」)。

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■世界が忘れない日本の物語2〜ポーランドのシベリア孤児救済〜

 1920年(大正9年)、ロシア・シベリア。気温マイナス40度。
 ヨーロッパの人たちから見れば、この世の最果てとも言えるシベリアで、10数万人ものポーランド人が寒さと飢えに耐えていた。

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 当時のシベリアは、独立を願ってロシアと戦ったポーランド人たちの流刑地。

 1918年に独立を勝ち取った後も、ロシアとの激しい戦争が続き、祖国に帰りたくても帰れない人々がこのシベリアに取り残されていたのだ。

 「せめて戦争で親を失った孤児たちだけでも、この寒く苦しいシベリアから脱出させたい」

 そんなポーランド人の一人、アンナは、仲間と「ポーランド救済委員会」を作り、欧米諸国に孤児たちの輸送と援助を要請。
 しかし莫大な費用のかかる救済事業に、どの国も難色を示した。

 「世界中で誰もこの子たちを助けてくれないなんて。このまま寒く厳しい冬が来れば、また無数の命が失われてしまう」

 万策が尽きたと思われた時、意外な国から救いの手が差し伸べられた。
 それは日本。

 当時、日本はポーランドと外交関係さえ結んでいなかった。
 しかし、アンナの訴えを受けた外務省は、孤児たちの窮状を聞き、直ちに日本赤十字社に依頼。
 決断までわずか17日。それは世界の外交史上でも異例の速断だった。

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