世界が忘れない日本の物語「ビーバップ!ハイヒール」より
2010.06.21 Monday 00:24
くっくり
遭難したのはトルコの軍艦エルトゥールル号。
乗組員は総勢650名。うち生存者69名。
つまり581名が死亡するという大惨事だった。
大島村の人々は村をあげて寝ずの救護にあたった。
しかし、ここは半農半漁の貧しい村。
69人もの遭難者に与えるには、着る物も食べる物もない。
さらに台風で村の食料はほとんど底をついた。
「もう限界よ…。もう食べさせてあげる物がないのよ」
「俺たちの分をあいつらに食わしてやろう。俺たちはまだ食わなくたって生きられる」
自分たちの生活をなげうち、一心不乱に救護にあたる村民たちの姿は、不安と心細さでいっぱいだった乗組員たちの心に深く刻み込まれた。
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事故は全国に新聞報道され、義援金が募られた。
その後、乗組員たちは神戸の病院に移され、手厚い看護を受けて順調に回復。
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そして、事故からおよそ1カ月後の10月11日、彼らは真新しい服に身を包み、日本の士官とともにトルコに帰ることになった。
「我々はこの度の措置に心から感謝している。乗員一同は帰国後、広く日本人たちの温情を同胞に告げる」
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……時は流れ、95年後の1985年。
トルコ航空による日本人救出。
なぜトルコが日本のために?
経緯を知らない日本のマスコミに対し、駐日トルコ大使は短く答えた。
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「エルトゥールル号の借りを返しただけです」
この事件は、トルコの教科書にも掲載されるほどの、誰もが知っている話だという。
日本がなした献身的な救助、それをトルコの人々は95年経っても忘れていなかったのである。
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