2010.06.14 Monday 19:16
くっくり
「日本待望論〜愛するゆえに憂えるフランス人からの手紙〜」(1998年発行)より
日本だけが伝統的過去と断絶せずにつながっている。その象徴こそ建国以来連綿として続いてきた皇室の存在。
〈中略〉神道なくして日本はない。神道は来るべき世紀に枢要(すうよう)欠くべからざる役割を演ずるに至るであろう。なぜならその時ついに人間は自然との合一なくしては生きられないと悟るであろうから。
「正論」2009年12月号【折節の記】「月の光」より
中秋の名月はとりわけ美しいのだが、普段でも日本の月は本当に美しいと思う。また、日本の夜は明るい。僅かの三日月でも明るい。月がないときでも、真っ暗な夜はほとんどない。どうして日本の夜はそんなに明るいのだろうかと、時に不思議に思うほどである。
〈中略〉田舎によく通うようになってから、お月さんを身近な存在と感じるようになった。夜の景色は、昼と全く別の世界で、静の世界である。その世界に魅かれて、外へ出たくなる。今の人たちにとって、月夜は美しいだけであるが、昔の人たちにとって、月の光はどんなに有り難いものだっただろう。月見や庚申講(こうしんこう)のような習慣が生まれたのはよく分かる。そして、それらは昔の日本人にとって、とても大事なイベントだったに違いない。
西洋でも、もちろん、お月さんは大事な存在だった。詩歌と歌謡曲、童話と神話でお月さんは重要な課題である。また、多くの習慣と迷信、或いは日常生活の知恵も月と関係している。夜に開催される多くの祭りも満月に当たる。それでも、お月さんは主役となっていない。月見のような、集団的に決まった時に楽しむイベントはない。西洋で、月を愛でることはあっても、月見はない。同じように、花を愛でることがあっても、花見はない。花もそうだが、月も独りで楽しむ。或いは恋人と。
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