外国人から見た日本と日本人(18)

2010.06.14 Monday 19:16
くっくり



 たしかに車夫にすぎないとはいえ、帝国民三四〇〇万人のほんの一粒にすぎないとはいえ、天にまします父なる神にとってはほかに劣らず大切なひとりなのですから。

■アンドレ・ベルソール=フランス人。1897年(明治30年)12月から翌年8月にかけて日本を旅行した。小説家、翻訳家、旅行作家、評論家と多面的な活動をしたといわれ、著書「明治日本滞在記」の中では、日本についてもしばしば遠慮のない評言をしている。
「明治日本滞在記」より

 一般的に言って、校門が開かれ、教師から白人への反感を植えつけられている生徒たちが路上に溢れる時には、ヨーロッパ人はそこに居合わさないことが望ましい。とはいうものの、生徒の群がヨーロッパ人にぶつかり、罵りの言葉が彼に浴びせられた時には、私は、日本人がどんなに親切で丁重かを思い出すよう、そのヨーロッパ人に勧告したい。

 最も無礼な子供をも静めるための妙策を、私はずっと以前から教えられている。誰でもよい、子供たちの一人に近寄り、道を聞くか、広場の名前を尋ねるかするのである。罵りを発していた口はたちまち微笑を浮かべる。挑むような姿勢をとっていた小さい体が前に傾いてお辞儀をする。そして、彼の仲間たちも、私が敵であることを忘れて、彼らの父たちが生活の掟としてきた愛想のよさをひたすら私に示そうとする。

 つい昨日も私は、一群の生徒たちにタバコ屋へ案内してもらった。この生徒たちというのが、その一瞬前には、私に石つぶてを投げたかもしれない連中だったのである。「タバコ屋はどこですか?」という私の単純な問いかけが、親切と丁重の伝統をたちまち彼らに思い出させたのである。

■ポール・クローデル=フランス人。1868年(慶応4年)生まれ。外交官。日本の芸術を熱烈に愛好していた姉のカミーユ・クローデル(ロダンの弟子)から葛飾北斎や喜多川歌麿を紹介されたのがきっかけで、日本に強く惹かれるようになった。アメリカ、中国、ヨーロッパ諸国などへの駐在生活を経た後、1921年(大正10年)から1927年(昭和2年)まで駐日大使を務め、日仏の経済交流や文化交流を積極的に進めた。

[7] << [9] >>
comments (19)
trackbacks (0)


<< 初めからゴタゴタ続きの菅政権
「アンカー」朝鮮半島と中東が史上初の同時危機!?(付:国会閉会) >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]