「アンカー」緊迫した半島情勢に絡む普天間

2010.05.27 Thursday 01:04
くっくり



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村西利恵
「『北朝鮮は2002年以前の軍事優先路線に完全に戻った』と」

青山繁晴
「はい。戻ったから、金正日総書記がミサ…、ごめんなさい、魚雷を撃てなんていう極端な指示を出して、それが実行されたんだと言ってるんですけれども。さあ、岡安ちゃん、サプライズ質問ですが、2002年て何があったんですか?」

岡安譲
「2002年…?」

青山繁晴
「あ、珍しく知らないのかな(一同笑)。別に喜んでるわけじゃありませんよ、皆さん」

岡安譲
「2002年ですよ。えー、小泉さんの訪朝」

青山繁晴
「ああー、素晴らしい、当たりました。当たりましたっていうか、ちゃんと分かってました」

岡安譲
「焦りました」

青山繁晴
「2002年9月17日に皆さんご記憶の通り、(VTR出る)小泉さんがこのように訪朝をして、史上初めて、拉致事件は北朝鮮が国家としてやったってことを認めさせて、そしてたった5人、それも北朝鮮が勝手に選んだ5人ですけれども、まずは取り返して帰ってきた。えー、その時の北朝鮮ていうのは、この日本政府の情報当局者だけじゃなくて、これはたとえば韓国とか中国とかアメリカの、私の知る限りのインテリジェンスの方々の見方は一致してて、小泉さんを受け入れたっていうのは、軍事優先だけではもう北はやっていけないと。むしろたとえば日本に歩み寄って、その、ほんの一部だけれども拉致被害者も返して、日本からとにかく1兆円から3兆円と言われるゲンナマの援助もほしいと、そういう路線に切り換えていたと。ところが自分たちで5人選んで返してみたところ、その、小泉政権はひょっとしたらそれを受け入れる可能性あったわけですよね。皆さんその証拠に2004年の5月に、その5人の方の家族だけ取り返して、それでいったん終わってしまったようになったじゃないですか。納得しなかったのは世論であって、私たち世論は納得せずに、最後の一人まで見捨てないってことを言って、北朝鮮の思惑が崩れて、そのあとむしろ核実験とか強硬路線に行って、もうずっと軍事最優先に戻ってしまった、その行き着く先、行き着いた先が今回の魚雷の発射だという見方なんですね。で、これは公平に見て、あの、バランスよく物事を見てると思います。あえて言うと、この日本政府の情報当局者は、この小泉訪朝にも関係してた人ですから。その、自らの反省も込めて、こういうことを僕はおっしゃってるんだと受け止めています。で、その上でですね、えー、次に僕たち考えなきゃいけないのは、じゃあお隣の韓国は今これどうしようとしてるのかってことですね。はい、出して下さい」

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