民族の誇りに…【将兵万葉集】(3)特別攻撃隊・神風-2

2010.05.07 Friday 01:17
くっくり


と言われたそうである。

※西田中尉については「敷島の道」さんでも詳しく紹介されています。
※「学鷲」=大学、高等専門学校から入隊した海軍飛行予備学生・生徒、陸軍特別操縦見習士官。


 この頃にはもう、西田中尉だけでなく多くの隊員の方が日本の敗戦を覚悟されていたと思います。
 その上で皆さん、講和の条件が少しでも日本に有利となるように、日本人の運命が少しでも良きものとなるように、民族の誇りが保てるように……、そのために自分たちの「命」が役立つのであれば……という思いでおられたことが、西田中尉の言葉で分かります。

  ご自分たちの「死」が、日本国と日本人の未来につながると信じて逝かれたのです。

 実際、特攻隊が米軍に与えた打撃は、物理的には微々たるものだったでしょうが、心理的な面では決して小さくはなかったはずです。
 アメリカ人は「日本人とは国と天皇のためなら死をも恐れない民族だ」と感じたことでしょうし、あるいはそれが天皇存続への要因のひとつになったのではないかと私は考えています(天皇を廃することで日本人がどんな行動をとるか予測できない、統治しにくくなる、という意味で)。

 ところが、今の日本では、特攻で亡くなられた方を「犬死に」「無駄死に」と酷評する人たちが時々います。私(昭和39年生まれ)も学校で一部教師からそのように教わりました。
 戦後、教育現場では子供たちに命の大切さを教えてきましたが、特攻死を犬死にだと教える教師はいったいどんな了見でそんなふうに教えるのでしょうか。

 たとえば、駅で線路に転落した人を救助しようとしたものの自分も命を落としてしまった人、この種の悲しい事故が過去に何度かあったと記憶しますが、そうやって亡くなられた人のことを、サヨク教師も決して犬死にとは教えないはずです。
 むしろ、美談として教えるのではないですか?
 亡くなられた人の「意思」を忖度しつつ、「我が身を犠牲にしてでも他人を救おうとする行為は尊いものだ」と教えるのではないですか?

 そういった無私の行為の延長線上にあって、もっとスケールの大きなものが特攻隊であり、また、あの戦争を戦った全ての日本の軍人・兵士であると私は思うのです。

 要するに、 特攻死を「犬死に」だと切って捨てる人たちは、特攻隊員にもそれぞれ「意思」があったことを無視しているのです。逆に人間扱いしていないのです。

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