民族の誇りに…【将兵万葉集】(3)特別攻撃隊・神風-2

2010.05.07 Friday 01:17
くっくり


 (無名戦士遺詠抄)

 矢野徹郎
  愛媛県、海軍中尉、神宮皇学館、予学11。
  神風特別攻撃隊第五桜井隊。
  十九年十二月比島オルモックで特攻戦死。二十五歳。

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 〜この土のつらなる果てに母ありて明日の壮挙の成るを祈らん〜

 この冒頭に紹介した歌を遺された西田高光中尉は、作家の山岡荘八氏(民主党国対委員長の山岡賢次氏は荘八氏の娘の夫)とのエピソードもあり、けっこう有名な方だと思います。

 西田中尉をご存知ない方のために、「神風KAMIKAZE」より引用させていただきます。

●民族の誇り

 戦争当時、海軍報道班員であった山岡荘八氏は海軍の鹿屋基地に配属された。そこで山岡氏は特攻隊員の「闊達さと自由さに時に傍若無人にさえ見えて、その実、接近するほど離れがたい別の美しさ」を感じていた。この底抜けの明るさがなぜ隊員達にあるのかという疑問をいつか解きたいと考えていた。

  彼はこの質問をすることの出来そうな相手を見つけた。それが西田高光中尉であった。西田中尉は入隊以前、昭和17年4月4日から18年9月まで、19歳の若い教師として郷里の国民学校に奉職。68名の教え子に兄と慕われた。そして、その師弟間の文通は飛行科予備学生として海軍入隊後も続いた。20年5月、古畳の上で胡座して、教え子に最後の返事を書いていた西田中尉に、「この戦を果たして勝ち抜けると思っているのか?負けても悔いはないのか?今日の心境になるまでにどのような心理の波があったかなど・・・・・」と質問した。

  西田中尉は、重い口調で、現在ここに来る人々は皆自分から進んで志願した者であることと、もはや動揺期は克服していることを話した。そして最後に

  「学鷲は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです・・・・・・・おわかりでしょう。われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。そう、民族の誇りに・・・・・・・」


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