【紀元節】外国人から見た日本と日本人(17)

2010.02.13 Saturday 01:19
くっくり


「天皇陛下の経済学」より

 歴史が始まって以来、日本の統一された社会、国家を象徴するものといえば天皇制であった。日本の歴代天皇は政治手腕に欠け、経済、軍事面でも非力であったにもかかわらず、他のどんな大勢力も立ち向かうことのできない、ある種の強力な権力を行使していた。

〈中略〉他の国々とは違い、歴代天皇が日本の歴史に直接の影響を与えたことはほとんどなかったが、天皇だけが有する威力が日本人を統一させ、日本国にその正統性を与えたのであった。天皇こそが、日本の不動の核なのである。

■パラオ共和国で1986年(昭和61年)年11月23日に「天皇陛下御在位六十年」の奉祝式典と提灯行列が行われた。パラオ人が昭和天皇の御在位60年を祝った理由とは……
名越二荒之助編著「昭和の戦争記念館」第4巻“大東亜戦争その後”より
パラオで昭和天皇の御在位60年の奉祝パレードについての記述

 パラオ共和国では、昭和六十一(1986)年十一月二十三日に、「天皇陛下御在位六十年」の奉祝式典を行い、提灯行列に移った。
 その話を最初に聞いた時には信じられなかった。その写真を貰っても、何だか半信半疑の気持ちが残った。私が現地に出かけて尋ねたら「私たちがやりました」と、写真にうつっている人々が名乗り出てきた。そして紹介されたのが、日本名で、沖山豊美(父が日本人)という人であった。

 彼女は戦前の日本の高等女学校を卒業した唯一人のパラオ人である。女学校をトップで卒業し、五カ国語に通じ、アメリカでは「バロン・オキヤマ」と呼ばれて尊敬されている、と聞く。私の質問に対して彼女は、「天皇陛下は世界で最も尊い方」と前置きしてゆっくり、しかし正確な戦前の日本語で答える。彼女が挙げた、御在位六十年を祝う理由は、次のようなものであった。

(1) 世界で一番古い家柄の方である。他のどの王室も遠く及ばない。
(2) 日本の軍人はペリリューやアンガウルだけでなく、他の戦場でもあれだけ立派に戦った。それは天皇の力であって、アメリカ人もペリリュー島を「天皇の島」と呼ぶようになった。
(3) 日本人があれだけ真剣に戦った戦争だが、それを一ぺんにやめさせられたのも、天皇の力だった。天皇の命がけの決断で我々も救われた。

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