2010.02.13 Saturday 01:19
くっくり
※天皇朝永続性の秘密
西暦五世紀頃、日本には国の南部に局限された数多くの貴族制氏族が存在していた。これらの氏族の一つ、大和の氏族の頭が、他の頭の上に立った。彼は自分を、アマテラスノカミ——『天を照らす大きな神』という国の創造者・太陽の後裔と認めさせた。かくして、アマテラスの後継者はすべて『天皇』という称号を持ち、神聖な性格を示すようになった。天皇はこのように始めから『神』の印を押されていた。
続く二・三世紀の間に、別の要素が協力して、政治的伝統を完成した。六世紀に輸入された儒教思想と、唐帝国に存在するものに従って、階層化された統治の形態が確立した。
天皇は日本の有歴時代の初めに生まれ、それが日本の主な伝統となり、非常な重要性を持って今も生き続けている。
その関係は、天皇と『大臣下』と名づけられた人たちとの間に打ち立てられた権力の分立であった。国を創設した諸氏族の頭達の目から見ると、天皇は豊作を保証することができる唯一の国の守護神である『カミ』という霊の一種の代理人でしかなかった。権力は実際は『大臣下』によって所有され、大臣下はいかなる神聖な性格も持たず、そのため野心や反乱によって変わり得た。対立しながらまた中立になりながら。
※神道の起源と仏教との共存
自然界の至る所に、精霊や神という優越した存在を見るアニミズムは、日本の信仰の最も古い基調をなしている。
この神は、すべての尊敬に値した。なぜなら、この神は心に随って有害にもなり、有益にもなった。各人は何よりもまず、氏族を創立した祖先の魂を守護神として崇めた。
この信仰は歴史時代を通して、さまざまな外的な影響を受けながらも、変質することなく発展した。神の数は無限に増大した。なぜなら、沢山の歴史上の人物が古代型の英雄として神格化されていったからである。そのため、日本は何万という神を数えることになった。
他方国が創建されて以来、崩御された天皇の魂は独自の地位を占め、国全体の守護神として特別の尊崇を受けるようになった。かくして信仰の根幹は「神道」という名を受け、礼拝場、祭式、宮司をもった一種の宗教となった。
日本の国教、確かにそれは浮き沈みがあったが、1868年の明治時代の宣言(明治元年・五箇条の御誓文)の後に、皇室の利益のため、新しい輝きを放った。
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