2010.02.13 Saturday 01:19
くっくり
ところが最近、日本から来た記録映画を見て驚いた。天皇が敗戦で大混乱の焼け跡を巡っておいでになる姿である。しかも、二年もの長い間、北の端から、南の端まで、焼き払われた廃墟を巡って、国民を慰めておられる。陸軍も海軍もすでに解体されているのに、一兵の守りもないのに、無防備のままで巡っておられる。
平穏無事なときでも、一国の主権者が、自分の国を廻られるその時には、厳重な守りがなされている。それでも暗殺される王様や大統領がある。それなのに一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇が日本の北から南まで、焼き払われた廃墟を巡る。国民を慰める。何という命知らずの大胆なやり方であろうか。いつどこで殺されるか。こう思って映画を見ていた。
しかし驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って天皇を慰めている。こんなに美しい国の元首と国民の心からの親しみ、心と心の結び、これはどこにも見られないことである。われわれは改めて、日本を見直し、日本人を尊敬しなければならないと思っている。
※引用者注:昭和天皇の御巡幸は昭和21年から29年まで続き、沖縄をのぞく、全都道府県をまわられました。お立ち寄り箇所は1411カ所に及びました。
名越二荒之助著「世界に生きる日本の心」より
フランスの中等教育用歴史教科書(1967年(昭和42年)発行)から歴代の日本文化の成り立ちを説明した箇所
※日本文化の独創的特徴
日本文化は、中国と西洋から受容れた借物の文化と言われるが、その奥底には依然として独創的なものがある。その偉大な伝統は、常に非常に強靭なものである。その伝統とは、『大臣下』に補佐された天皇という一人の皇帝に代表されるもの、さらには自然に対する深遠な感情を映した詩と芸術等である。
その後、貧しく人口過剰の日本は、国の運命に立ち向かってきた。その間、激しい競争の渦巻く世界の中で、身を守るために戦争に訴えた。しかし、その後はそう思っていないし、日本は再び平和を愛するようになった。
※日本世界とその偉大な伝統
日本はまず輸入したものを模倣し、ついで自分のものにし、それに自国の特性を与えて同化する。それ故、これは単なる受身的な“消化”といったものでなく、自発的能動的な適応である。中国文化に対してもその通りで、日本はそれを輸入した後で、自国自身の伝統に順応させた。それは西洋文化についても同様であった。
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