2010.02.13 Saturday 01:19
くっくり
私たちの国旗は軍事的象徴ではない。それと同じように、戦争がなければ、日本人にとって天皇は軍事的象徴ではなかった。
「天皇制」と「国家神道」は、私たちが民主的と呼ぶ世界のどの国でも、国の特性に応じてさまざまに現われる現象である。神話は日本人にとって民族主義の象徴にすぎないのだが、私たちはその事実に目を閉じてきた。心情的国家意識は戦争の大きな要因であると同時に、戦争遂行に必ずかかわってくるものである。それを問題にするなら、連合国も私たちも無罪とはいえない。私たちアメリカ人には統合の心情的象徴となる皇室はないが、私たちの民主主義同盟であるイギリスは王室をもっている。
第二次世界大戦前、イギリスの王族がイギリス外交への支持を求めて訪米したとき、アメリカの新聞、雑誌、政府指導者は彼らのことを、日本の天皇に対していったように、「恐るべき病根」とはいわなかった。
〈中略〉私たちアメリカ人は、平時には、愛国心を当然のものとして表に出さない。アメリカの歴史や国家に命を捧げた人に対する尊崇の念を表わす7月4日(独立記念日)とか戦没者追悼記念日(メモリアル・デー)以外は、愛国心を表に出して騒ぐ国民ではないが、戦争中は、私たちも国家神道を絶えず感情的に表現していたのである。日本人を教育して心情的国家意識を捨てさせたいと思うなら、まず私たちの心情的国家意識を捨てるべきである。
「天皇の真実」(河内正臣)より
1950年(昭和25年)のカロンの言葉
ローマ大帝国も、ナポレオンの国でさえも、一度戦いに負ければ亡びている。私の国のカイゼル陛下にしても、また生前中は神の如く慕われていたヒットラーも、イタリアのムッソリーニも、戦いに負けたらすべてそのまま残ることはできない。殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいる。だから日本の天皇も外国に亡命すると思っていた。しかし、そんなことは聞かない。だからすでにこの世におられないと思っていた。
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