【紀元節】外国人から見た日本と日本人(17)

2010.02.13 Saturday 01:19
くっくり


「昭和御大典印象記」より

 或国の偉大さと云うものはその国の面積で決められるものではなくて、その国が世界に及ぼす影響や、その国の過去からの伝統によって決まるものである。

〈中略〉日本は明らかに偉大な国である。先頃その即位の大礼を執り行わせられた現在の日本の統治者は第百二四代の天皇(昭和天皇)に在らせられるが、世界の中にこの半分の古さでもあると自称し得る国が在るか、どうか疑わしいものだ。

 だから日本の君主の即位式には畏敬の念や尊崇の情を起こさせずには置かないようなものが尽く含まれている。即ち、偉大な国民、建国の古い帝国、偉大な伝統、連綿二千五百余年の古(いにし)えにさか登る皇朝等があるからである。

○ヘレン・ミアーズ=アメリカ人。東洋学者。1920年代から日米が開戦する直前まで2度にわたって中国と日本を訪れる。1946年(昭和21年)に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より

 神道と天皇崇拝は日本人の民族感情にとって重要な文化と宗教の伝統を表わすものだった。これは、他の民族が固有の文化、宗教の伝統をもっているのと同じ国民感情である。伝統の力が強ければ強いほど、国家存亡のときには、戦争計画への国民統合に利用される。しかし、伝統が戦争の大義なのではない。ひとたび戦争が決定されると、伝統は防衛という名の戦争計画の背後に国民を統合するための手段となる。そうすることによって、為政者は複雑な戦争理由をわかりやすくするのである。

 アメリカも戦争の後ろ盾に国民を統合するため、伝統を利用したのだが、とかくそれが忘れられがちだ。私たちは民主主義とキリスト教の名のもとに戦った。「天皇制」と神道が本来、戦争を内包しているのに対して、民主主義とキリスト教は本来、平和であると私たちは主張する。日本の学童が天皇の肖像に最敬礼をしたのは、アメリカの学童が「国旗に忠誠を誓う」のと同じ国民的儀礼だが、私たちはそれを見ようとしない。

 天皇は「われわれ天皇と国民……の結びつきは単に伝説と神話によるものではない」と宣言したが(引用者注:いわゆる「人間宣言」を指すと思われる)、日本人の立場からすれば、ごく当たり前のことを言ったにすぎない。日本人が天皇を尊敬するのは、天皇が超自然的、超人間的存在であるからではない。長い歴史と伝統文化の表象としての制度を崇拝しているからである。日本の天皇は、アメリカの星条旗、あるいはアンクル・サムのようなシンボルなのだ。

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