【紀元節】外国人から見た日本と日本人(17)

2010.02.13 Saturday 01:19
くっくり



※ 有名な「稲むらの火」ですね。明治になってからこの話を聞いた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が著書「A Living God(生き神様)」で全世界にこの話を紹介したため、多くの国の人たちが知っているそうです(Wikipedia参照)。

■リチャード・ポンソンビ・フェイン=イギリス貴族。1878年(明治11年)生まれ。1919年(大正8年)、東京に住居を構える。英語教師として過ごすうち、神道、皇室に魅せられ、1925年(大正14年)京都に転居、1937年(昭和12年)に没するまで京都で過ごした。日本における生活—居・食・住等は、すべて和風様式を貫き、京都御所には土下座して遙拝した。京都御所における昭和天皇即位の大礼も拝観した。当時の人々は、彼を「碧い眼の高山彦九郎」と呼んだ。
「日本の皇室」より

 日本の皇室には、遼遠な最も古い歴史があり、御生母がどなたでも、天皇直系の男子は皇位継承に適格であったという事実が万世一系の維持を容易にしているが、連綿と皇統が続き、途絶えることがなかったのは、天皇直系の男子の養子縁組によるものであったと、はっきり断言できる。

 この場合、天皇は皇族の方々の中から、ご養子を選ばれているが、その実例を挙げれば、第百二代後花園天皇の例を除いて、他にその事例を見出すことはできない。後花園天皇は北朝第三代崇光天皇(後伏見天皇の皇孫)の直系であらせられ、後小松天皇のご養子として第百二代の皇位を継承された方である。

■リチャード・ポンソンビ・フェイン=イギリス貴族。1878年(明治11年)生まれ。1919年(大正8年)、東京に住居を構える。英語教師として過ごすうち、神道、皇室に魅せられ、1925年(大正14年)京都に転居、1937年(昭和12年)に没するまで京都で過ごした。日本における生活—居・食・住等は、すべて和風様式を貫き、京都御所には土下座して遙拝した。京都御所における昭和天皇即位の大礼も拝観した。当時の人々は、彼を「碧い眼の高山彦九郎」と呼んだ。

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