「たけしの教科書に載らない日本人の謎2010」(1)

2010.01.03 Sunday 23:51
くっくり


 この地域出身の鎌倉時代の武家・春日部氏にちなんでいる。

・高畑淳子
 香川県善通寺市の「善通寺」。
 ここでまた弘法大師こと空海が登場。善通寺は空海の出身地でもあり、この地に空海は善通寺を建立。「善通」とは空海の父の法名だった。

・荒俣宏
 東京都台東区鶯谷の「鶯谷」。
 江戸時代、鶯谷の隣、上野の寛永寺の住職は代々京都からやってきた皇族が務めていた。ところが、そのうち一人の住職が「江戸の鴬はなまっている」と言い出して、わざわざ京都から鴬を運ばせてこの地域に放し、新たな鴬の名所となった。ここがいつのまにか鶯谷という地名になったとか。

 このように日本の地名は、豊かな自然や長い歴史、人々の生活に密着した様々な由来を持ち、現代に受け継がれている。

 そして今から1300年以上も前に、歴史上初めて、日本に数ある様々な地名を全国的な規模でまとめた壮大な書物が完成した。それが風土記。
 そして日本最古の地理書、この風土記にも教科書に載らない日本人の謎が。


◆風土記と地名の関わり

 そもそも「風土記」とは?

 「奈良時代の初め、713年、元明天皇という女帝が風土記を作れと諸国に命令した」(駒澤大学教授 瀧音能之)

 時の天皇・元明天皇は当時およそ60余りあった諸国に、それぞれ地元の文化・風土を記録、編集するように命じた。

 そこには5つの必須項目があった。

1.何が取れるのか、そこの産物を明記する。
2.土地は痩せているのか肥沃なのか、その土地の状態を記録する。
3.山や川などの名前と由来を明らかにする。
4.その土地に伝わる昔話や伝承などを記す。
5.もとの地名を縁起の良い2文字に変える。

 なぜ元明天皇は風土記の編纂を命じたのか?

 「2つの考え方ができる。1つは中国の歴史書を真似てお手本にして、古事記・日本書紀を作ったが、中国の場合、歴史書の中に必ず地理部門が入っている。ところが、古事記・日本書紀にはそういうものがない。そこで地理部門が必要だというので風土記が作られたという考え方が1つ。古事記・日本書紀は歴史書だから、時間の流れを追っている。つまり時間的に日本列島を天皇が支配する、それが目的。それと同時に今度は空間的に日本列島を支配する」(駒澤大学教授 瀧音能之)

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