「たけしの教科書に載らない日本人の謎2010」(1)
2010.01.03 Sunday 23:51
くっくり
卑弥呼という文字は中国の魏志倭人伝による蔑称であり、日本では「日の巫女」と呼ばれるべき存在。
「日巫女」とは太陽を司るという意味の言葉。太陽を神と崇める古代日本では最高の位。
しかし、その死は大きな謎に包まれている。
魏志倭人伝によれば、卑弥呼の死は西暦247年か248年。
「卑弥呼は死に、直径百余歩の大きな塚が作られ、奴隷百人余りが共に葬られた」
墓がどこにあるかは別として、卑弥呼が死んだとされる247年か248年に太陽に関する大きな事件が隠されていた。
その2つの年にそれぞれ日食が起きていたのである。
「事実です。両方とも深い日食ですので、気がついたと思います。気がつくほどの日食だと思います。空を見ればわかりますのでね。だけど真っ暗にはなりません」(国立天文台 谷川清隆)
歴史天文学により導き出されたのは、247年3月24日の日食は、邪馬台国の二つの候補地である九州と畿内地方は部分日食が見えた地帯に入っている。時刻は夕方。
翌248年9月5日の日食は朝で、かなり深い部分日食が見えた地帯にあった。
image[100102-01nisshoku.jpg]
卑弥呼の死の原因には自殺説、世代交代、民衆によって殺されたなど、諸説あるが、太陽を司る女王として崇められていた卑弥呼が、日食によって権威を失ったことは大いに考えられることなのである。
「朝鮮半島の方では災害が起こった場合に、あるいは作物が実らなかった場合に、王を代えたり、殺すという文化があったようです。もしかしたら卑弥呼も殺された可能性が無くはない」(活水女子大学教授 日本古代史 細井浩志)
その卑弥呼の失脚が日本神話に大きく影響を与えている可能性も。
「卑弥呼のことが神話化し伝承化したのが天照大御神ではないかという説があるわけです」(元・産業能率大学教授 邪馬台国研究の第一人者 安本美典)
安本氏が指摘するのは、天照大御神の天の岩戸伝説。
太陽の神である天照大御神はスサノオの乱暴を嘆き、天の岩戸に身を隠してしまう。太陽の神が姿を消したため、世界は真っ暗になってしまった。困った神々は策を弄し、わざと笑い声をあげ、不思議に思った天照大御神を見事、外に出すことに成功するという話。
[7] << [9] >>
-
trackbacks (0)
<< 新年のご挨拶
「たけしの教科書に載らない日本人の謎2010」(2)終 >>
[0] [top]