「たけしの教科書に載らない日本人の謎2010」(1)
2010.01.03 Sunday 23:51
くっくり
聖書のマタイ伝にもこんな記述がある。
イエス・キリスト処刑の時の描写。
「昼の12時より闇が地の全てを襲い、3時にまで及んだ」
これも日食のことだという説がある。
歴史天文学によると、キリストが処刑された時代に近いと言われる西暦29年11月29日に日食があった。
そしてキリストが処刑されたエルサレムでは、午前11時に95パーセント以上が欠ける日食が起こっていたことが判明した。
実はこの歴史天文学から日本史上の重大事件も見えてきたのだ。
ちなみに、日本で公式な文書に初めて記載された日食は西暦628年。
「日本書紀」の推古天皇の記録の中に載っている。
推古天皇は「日食から5日後に亡くなった」とある。
「日本紀略」には975年にこんな記述がある。
「太陽は墨色となり、群鳥は飛乱し、たくさんの星が見えた」
平安京を初めて襲った皆既日食だった。
太陽を信仰している日本において、これは人類最期の日に見えたに違いない。
驚いた朝廷は天下に大赦を発表。死罪の者まで減刑が行われたという。さらには元号も「天延」から「貞元」に変えた。
日食は時の権力者に大きなも大きな影響を与えたのだ。
日本人は農耕民族で、太陽を信仰する思いは強い。
その太陽が姿を消すことは、人々にとっては間違いなく恐怖だった。
そのため時の政治を司る天皇は日食を災いとし、地に異変が起こらぬことを祈っていたという。
「日食の光は穢れた光なんですね。平安時代から江戸時代まで続いていたんですけれども、日食の日は御所全体、大きな宮殿を全部ムシロで覆い隠す。それによって御殿も穢れないように、それほど念には念を入れて、穢れた光で天皇を穢さないように細心の注意が払われていました」(竹田恒泰)
◆日食と卑弥呼の死の関わり
西暦158年、日食が起こったため、当時の日本である倭の国が大混乱に陥ったと、魏志倭人伝にある。
その長く混乱した政治を治めたのが卑弥呼だった。
邪馬台国の所在地については畿内説と九州説があり、現在も論争が続いている。
卑弥呼は邪馬台国を神秘的な不思議な力でまとめ、民衆から恐れられていた。超常的な力を持つ、シャーマンのような存在だったのであろう。
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