「たけしの教科書に載らない日本人の謎2010」(1)

2010.01.03 Sunday 23:51
くっくり



 大国主神は「この国を譲るべきか、私の代わりに2人の息子が答えるでしょう」。
 さっそく息子のもとへと向かった神の使い。
 1人目の息子コトシロヌシノカミは国譲りをあっさり承諾。
 2人目の息子タケミナカタノカミは力比べを求めたが、一瞬で降参。

 大国主神は使いの神にこう告げた。
 「葦原中国は天の神々にお譲りしましょう。ただ、天の宮殿のように柱が太く、高くそびえるような家に住むことを許してくれるなら、以後、私は表には現れず、黄泉の国に隠れましょう」
 そう言って姿を消したという。

 その言葉の通り、大国主神のために建てられた大きな建物、それこそが出雲大社だという。
 しかし、大国主神が言い残した「以後、私は表には現れず、黄泉の国に隠れておりましょう」とはいったいどういう意味?

 「大国主神が『現世』の政治、つまり政(まつりごと)は天孫に、天照大御神の子孫に委ねると。その代わり自分は『神の世』、この世にいろんな影響を与える霊力の世界とか、あるいは神々の御神霊の世界、その神々の世界、霊魂の世界は自分が治める、こういうふうに言ったわけです」(国立歴史民族博物館 教授 新谷尚紀)

 この言葉こそ、10月がなぜ「神在月」と呼ぶのか、その謎を解く鍵だったのだ。
 「神の世界は私が治める」と大国主神がそう告げて以来、日本全国に祀られた八百万の神は年に一度、出雲大社を訪れ、「神議(かむはかり)」という会議を行うようになった。

 年に一度「神議」が行われるのが10月だった。そして国中の神様が出雲に出かけてしまうので、出雲から見ると、他の土地には神様はいない。まさに「神無月」。出雲には神様があふれ「神在月」。

 出雲大社の始まりを伝える「国譲り」の神話。
 そこには地上の神・大国主神から、天の神・天照大御神への政権交代が描かれていた。

 が、しかしこの国譲り、実際に古代の日本で行われた、ある「チェンジ」をもとに描かれたかもしれないというのだ。
 
 「1つは全くの神話であるという考え方。もう1つはある程度、歴史的な事実を反映させているという考え方、この2つがある。実際に出雲大社という大きな社が古代以来あるので、私はやはり、ある一定の歴史を反映しているという立場をとっています」(新谷尚紀)

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