日本人の習慣第2弾 年末年始編「ビーバップ!ハイヒール」より

2009.12.20 Sunday 02:25
くっくり


 そこには一人の男の先見の明があった。

 時は明治30年。
 当時、弁護士だった立川勇次郎は、新しいビジネスを模索していた。

 そんなある日のこと、立川は庶民たちのこんな会話を耳にする。

 「おまえ、一度ぐらい汽車に乗ってみたくないか?あれは楽しそうだぞ」
 「高いですよ。でもやっぱり乗ってみたいですよね」

 当時の庶民にとって汽車に乗ることは憧れ。
 しかし、日本で最初に走った官営鉄道の新橋〜横浜間の運賃は36銭(普通クラス)。
 高級寿司1人前が10銭の時代。
 庶民にとっては非常に高額だった。

 再び庶民たちの会話。

 「来年の恵方は東だよな。正月の恵方参りに、汽車に乗って行ってみるか?東に向かって乗ればいいんだし、罰は当たらんだろう」
 「恵方参りに汽車ですか。1年に1度の贅沢だし、乗ってみましょうか」

 これだ!汽車に乗って恵方参りをする!
 ここにビジネスチャンスを見出した立川は、さっそく地図を広げる。
 立川が目を付けたのは川崎。

image[07map1.jpg]

 川崎大師という立派なお寺まで、駅から2km以上ある。
 ここに線路を通せば、川崎大師に恵方参りに行く客が必ず利用する。
 絶対に成功するはずだ!

 ただ、当時は恵方参りは地元の寺社でするのが普通の時代。
 立川の挑戦は無謀なものに思われた。

image[08map2.jpg]

 そして明治32年。
 川崎駅の近くから、川崎大師の間にわずか2kmの線路を開通。

 迎えた正月。
 なんと、電車は満員。川崎大師に恵方参りをする人々が激増したのだ。

 利用客の声。

 「大師電鉄があるから川崎大師に行きやすくなったなあ」
 「ああ、ラクチンだし楽しいし、これからの恵方参りは電車だな」

 立川のもくろみは見事に的中。
 だが彼の野望はもっと大きかった。

 「初詣はまだまだ変わるぞ。これからは恵方などには関係なく、毎年各地から川崎大師に来る参拝客を集める。そのためには東京方面に線路を延ばす!」

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