【記憶せよ12月8日】外国人から見た日本と日本人(16)

2009.12.08 Tuesday 02:18
くっくり



 日本軍の占領時代に私の家は日本軍にとられていた。ここには通信施設があった。しかし、私は日本兵のオリガサさんと仲良くなった。いい人だったんだ。
 アメリカ軍機の機銃掃射に襲われこの辺りは日本兵の遺体がいくつも横たわっていた。我々は怖くて近づけなかったが、それからオリガサさんの姿を見ていない。ここに眠っているかもしれないから掘って入るんだよ。
 日本から調査団が来たと聞いて喜んでいる。やっと日本人が迎えに来てくれたんだよ。

○李登輝=1923年(大正12年)台北生まれ。京都帝国大学農学部に進み、4年(昭和19年)陸軍入隊。終戦後、台湾大学講師、台湾省農林庁勤務、米国留学などを経て71年国民党に入党。72年行政院政務委員として入閣。台北市長、政府首席等を歴任。84年副総統に指名され、88年1月総統に昇格。96年台湾初の総統直接選挙に当選。2000年国民党首席を辞任。総統引退後、台湾独立の立場を明確にした。
「李登輝学校の教え」より

 かわいそうなのは、日本の若い人は「昔の日本は悪いことをした、悪い国だった」と一方的に教育を受けていることです。日本は批判されていると思いこみ「つまらない国に生まれたんだ」と自信を失っている。

 こんなバカなことはないですよ。昔は昔、今は今。どっちも大切だ。昔がなければ何で現在があるのか、そういうところから教育を改めていかなくちゃいけないと思いますよ。

 私が思うに、日本人自体、日本とは何かということを真剣には考えていないね。日本は日本なりの考えがあって戦争もした、競争的な立場もあった。それを主体的に行なったという意識があんまりないのじゃないか。

■金美齢=台湾人。1934年(昭和9年)台北生まれ。日本統治下の台湾で育ち、日本敗戦後国民党による台湾人弾圧時代を経験。1959年(昭和34年)日本に留学後、台湾民主化運動に参加。このため30年間以上も台湾の土を踏むことができなかった。多くの大学で講師を歴任。1988年から2000年までは学校法人柴永国際学園JET日本語学校校長も務めた。台湾の民主化が進んだ後、2000年から2006年まで総統府国策顧問。日本滞在期間50年。2009年、日本に帰化。
「正論」2010年1月号 金美齢【独占手記 滞日50年、「二つの祖国」のはざまで 私はなぜ日本国民となったか】より

 台湾で終戦を迎えた十一歳まで、私は日本の勝利を願う軍国少女だった。

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