【記憶せよ12月8日】外国人から見た日本と日本人(16)

2009.12.08 Tuesday 02:18
くっくり



 これでも、親愛なる皆さん、皆さんは、今日、「日本」というこの言葉が空に砕け散るのを傍観しようとお望みなのでしょうか。

○ダニエル・H・ディゾン=フィリピン人。画家。猪口力平・中島正著「神風特別攻撃隊」を読み、その生き様に感動し、1974年(昭和49年)、神風特攻隊慰霊碑の建立を思い立ち、マバラカット市長に進言した。フィリピン・カミカゼ記念協会会長。
2000年(平成12年)にフィリピン・ルソン島のパンパンガ州マバラカットで行われた神風特別攻撃隊の戦没慰霊祭の翌日、ジャーナリスト井上和彦氏に語った言葉

 私は、ヨーロッパ・アメリカ・中国・フィリピンの歴史を様々な角度から検証してみました。その結果、なぜ日本が立ちあがり、戦争に打って出たのかがよくわかったのです。そして日本が、欧米列強の植民地支配に甘んじていたアジアを叱責した理由も理解できたのです。

 当時、白人は有色人種を見下していました。これに対して日本は、世界のあらゆる人種が平等であるべきとして戦争に突入していったのです。神風特別攻撃隊は、そうした白人の横暴に対する力による最後の“抵抗”だったといえましょう。

 神風特攻隊をはじめ、先の大戦で亡くなった多くの日本軍人をどうか敬っていただきたい。これは私から日本の若者たちへのメッセージです。

○イサベル・ラリンティ=セブ島の住宅街に在住。2008年3月時点で76才。
フィリピンのセブ島を中心に行われた日本兵の遺骨調査団に参加した野口健氏が、ラリンティ氏から連絡をもらい自宅に伺ったところ、庭の地中から6体の遺骨を発見。その際、ラリンティ氏が語った言葉

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