【記憶せよ12月8日】外国人から見た日本と日本人(16)

2009.12.08 Tuesday 02:18
くっくり


「台湾人元志願兵と大東亜戦争」より

 1993年8月10日、細川首相は先の大東亜戦争を「侵略戦争であり、間違った戦争であった」と断定して大きな波紋を引き起こした。自国の威信と名誉に及ぼす影響は実に甚大なるものがある。
 当時我々は志願までして戦争に赴いたが、戦後見捨てられ異国の民となった。それでも我々は聖戦に参加できたことを誇りとしてゐたが、「侵略戦争だ、間違った戦争だ」といふ首相の暴言には莫大な抵抗と憤激・慨嘆を禁じ得なかった。
 この間たまりかねて身分もかへりみず三度も首相に抗議書を送付した。

※日本の首相で先の戦争を「侵略戦争」であると断じたのは1993年の細川護煕が最初であった。細川総理以前の歴代総理は頑として認めなかった。

○ラジャー・ダト・ノンチック=マレーシア人。南方特別留学生として日本で学び、戦後独立運動に参加。元上院・下院議員。1994年逝去。
「日本人よありがとう マレーシアはこうして独立した ラジャー・ダト・ノンチックの半生記」(土生良樹)より

かつて 日本人は 清らかで美しかった
かつて 日本人は 親切でこころ豊かだった
アジアのどの国の誰にでも
自分のことのように 一生懸命つくしてくれた

何千万人もの 人のなかには 少しは 変な人もいたし
おこりんぼや わがままな人もいた
自分の考えを おしつけて いばってばかりいる人だって
いなかったわけじゃない

でも その頃の日本人は
そんな少しの いやなことや 不愉快さを越えて
おおらかで まじめで 希望に満ち明るかった

戦後の日本人は 自分たち日本人のことを
悪者だと思い込まされた
学校でも ジャーナリズムも そうだとしか教えなかったから
まじめに 自分たちの父祖や先輩は
悪いことばかりした残虐無情な
ひどい人たちだったと 思っているようだ

だからアジアの国に行ったら ひたすら ペコペコあやまって
私たちはそんなことはいたしませんと 言えばよいと思っている

そのくせ 経済力がついてきて 技術が向上してくると
自分の国や自分までが えらいと思うようになってきて
うわべや 口先では 済まなかった悪かったと言いながら

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