【記憶せよ12月8日】外国人から見た日本と日本人(16)

2009.12.08 Tuesday 02:18
くっくり


■スバス・チャンドラ・ボース=インドの独立運動家。インド国民会議派議長、自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官。1943年(昭和18年)10月、日本を拠点に独立運動を行っていたラース・ビハーリー・ボース(「中村屋のボース」)やA・M・ナーイルらと合流、日本の支援により日本統治下のシンガポールで「自由インド仮政府首班」に就任。同年11月の大東亜会議にオブザーバーとして参加した。1945年(昭和20年)8月18日、台湾の飛行場で搭乗していた飛行機が離陸に失敗した事故により死去。遺骨は東京都杉並区の日蓮宗蓮光寺で眠っている。
1944年3月20日「自由インド放送」(インド人民に向けた演説)より

 大東亜戦争開始以来、歴史に較べるもののない日本軍の勝利はアジアのインド人に感銘を与え、自由獲得の戦いに参加することを可能にした。日本政府は単に自己防衛のために戦うだけでなく、英米帝国主義のアジアからの撲滅を期し、さらにインドの完全な独立を援助するものである。
 いまやインド国民軍は攻撃を開始し、日本軍の協力を得て、両軍は肩を並べ、共同の敵アメリカ・イギリスの連合国に対し、共同戦線を進めている。外国の侵略の軍隊をインドから駆逐しない限り、インド民衆の自由はなく、アジアの自由と安全もなく、英米帝国主義との戦争の終結もない。

○ヘレン・ミアーズ=アメリカ人。東洋学者。1920年代から日米が開戦する直前まで2度にわたって中国と日本を訪れる。1946年(昭和21年)に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より

 国際関係を本当に知ろうとしたら、政策立案者の説明する政策が実際はどういう意味をもっているか、深く考えてみる必要がある。私たちが「国益」としているものの上に、外交政策を立てているなら、日本に対する私たちの裁判はかなり調査が必要となってくる。日本の政策は一貫して国益の上に据えられてきたからだ。私たちが「国家の存亡にかかわる利益を守るために戦う」のは、私たちの権利であると主張する以上、同じように主張してきた日本を何で罰することができるのか。「世界征服」を企てたという理由で、日本を公式に罰することができるというのも理解できない。現にアメリカの公式調査報告は、そのような意図はなかったという日本の反論を記録にとどめているのだ。

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