【記憶せよ12月8日】外国人から見た日本と日本人(16)

2009.12.08 Tuesday 02:18
くっくり


 
○ジョージ・フリードマン=アメリカ人。ディッキンソン大学教授。近著に「新・世界戦争論—アメリカは、なぜ戦うのか」(2005年出版)がある。
「VOICE」1991年12月号「パールハーバーを忘れるな」より

 まともで教育のある人びとがなぜパールハーバーを攻撃する道を選んだのか。こういうことを理解せずに、ただそれを非難する人びとがいる。彼らこそが戦争をもっとも起こしやすい人びとなのだ。
 当時の日本の指導者たちをモンスターにしたり、日本の置かれた悲劇的な立場を考えもせずに発言する人びとを英雄視したりしても、何の解決にもならない。解決どころか、このような態度そのものが問題なのだ。

○孫文=1895年(明治28年)に日本へ亡命、以後、世界中を巡る。初代中華民国臨時大総統。辛亥革命を起こし、「中国革命の父」と呼ばれる。
「三民主義」より

 ベルサイユ講和会議で、日本は五大国の一員として席に着いた。日本はアジア問題の代弁者だった。他の諸国は、日本をアジアの「先頭馬」として認め、その提案に耳を傾けた。
 白色人種にできることは日本人にもできる。人間は肌の色で異なるが、知能には違いがない。アジアには強い日本があるから、白色人種は日本人もアジアのいかなる人種も見下すことはできない
 日本の台頭は大和民族に権威をもたらしただけでなく、アジア全民族の地位を高めた。
 かつて我々はヨーロッパ人がすることは我々にはできないと考えていた。いま我々は日本がヨーロッパから学んだことを見、日本に習うなら、我々も日本と同じように西洋から学べることを知ったのである。

■オーエン・ラチモア=アメリカ人。支那問題の権威でありコミンテルン影響下の共産主義者。蒋介石政府の顧問だった。1934年(昭和9年)よりIPR機関誌「パシフィック・アフェアーズ」編集長となり、同誌に親ソ親支那の政治的立場を十字軍的に唱道する論文と反日プロパガンダを満載し、1950年(昭和25年)、ジョセフ・マッカーシー上院議員から「ソ連スパイ網のトップエージェント」だとして告発された。
林房雄著「大東亜戦争肯定論」より

 「日本が立派にやりとげたことは、アジアにおける植民地帝国の十九世紀的構造を破壊することであった」

 「戦時中、日本人によって占領された土地のうち、ただ一つも(旧主人のヨーロッパ人によって)満足にとりもどされたものはなかった」


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