「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(4)終

2009.11.01 Sunday 00:21
くっくり



●(松都〈ソンド〉にて。朝鮮第二の都市で開城〈ケソン〉ともいう)広い通りが一本あって、その広さは両側にならんだわらぶき小屋で狭められてはいるものの、この通りでは街は分かたれている。ここには定期市に似たざわめきと活気と小商いの光景があった。((中略))わらぶき小屋では低い台や地面に敷いたむしろの上に、ありとあらゆる朝鮮の必需品と贅沢品がならんでいる。そのなかにはイギリス製の雑貨もあれば、血を大量に含んだ牛の干し肉もある。朝鮮で屠殺した肉を見れば、だれだって菜食主義者にならざるをえない。ヤギの屠殺方法は小さな川で引っ張りまわるというもので、この方法だと癖のあるにおいが消えるといわれている。犬は首になわをかけて振りまわし、そのあとで血を抜く。朝鮮人の手にかかった仔牛の運命については前に述べた(引用者注:第2弾のp.223参照)。暑い日ざしの下ではせわしなくて汚く、哀れで不愉快な光景だった。(p.381-382)

●松都の宿屋はどこもひどく、親切にも李氏(引用者注:イ・ハギン氏。旅に同行した通訳)の友人がわたしに家を一軒貸してくれた。一部くずれてはいるものの、ふた部屋あってイム(引用者注:駐朝イギリス総領事ヒリアー氏の紹介で同行した英公使館の衛兵)とわたしが泊まれる。そこに滞在し、わたしは快晴の気候に恵まれた二日間をすごした。李氏が友人の家を訪ねがてら、松都の名所に案内してくれた。名所は半日でめぐることができ、上流階級の屋敷も何軒か訪問した。わたしの宿泊先はそれに比べてとても快適ではあったけれども、イギリス本国ならば上流階級の牛小屋にも劣りそうである! とはいえ、朝鮮は一年の大半がすばらしい気候に恵まれている。またわたしの宿泊先にかぎらず、どこもかしこもみすぼらしくてほこりとごみだらけというのは信じがたいほどではあっても、この町はかなり「裕福」なほうである。給水のひどさは話にならず、あらゆる種類のごみと汚物が井戸の口まで堆積している。治安に関しては、大都市のまん中にあるさびしい横町で、外国人女性が英語のひと言も話せない朝鮮人兵士ひとり以外従者がまったくいなくても、無事暮らしていけるという事実は多くを物語る。朝鮮人兵士はそうしようと思えば、わたしの喉をかき切り金を奪って逃げることもできるのである。金のありかも簡単にわかるにちがいない。なにしろわたしの家には鍵というものがないのであるから!(p.382-383)

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