「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(4)終
2009.11.01 Sunday 00:21
くっくり
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「ヨーロッパは文明の中心すなわち中国からあまりに遠く離れている。ゆえにロシア人、トルコ人、イギリス人、フランス人、ドイツ人、ベルギー人は人間よりも鳥獣に似ており、その言語は鶏が鳴いているように聞こえる」((中略))
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「世界の中央たる清帝国のいかに偉大で栄〈は〉えあることか! 清帝国は世界で最も大きく最もゆたかな国である。世の偉人はすべて中国の生んだものである」(p.547-549)
●朝鮮の生皮は皮革業に対する身分差別と迷信による偏見のせいで、これまで日本に送られて加工されていた。この工場を設立して加工方法を教えてくれる日本人指導者を招聘〈しょうへい〉したことにより、ソウルのみにかぎるとしても、愚かしい偏見に終止符が打たれたばかりでなく、きわめて有利な産業が緒に就いたわけで、ほかの産業もこれにつづいている。(p.551)
●一八九七年にソウルに導入された最も画期的な変革のひとつに監獄の改善がある。これは元上海警察顧問官で現在朝鮮警察庁顧問官のA・B・ストリップリング氏によるところが大きい。氏はもともと日本人が提唱した監獄の改革を人道的かつ進歩的に実行している。拷問は大都市の監獄からは姿を消していたが、それ以外の監獄では一八九七年の一月にいたっても政治犯が拷問を受けているという陰気なうわさがあった。(p.552)
●監獄改善に関しては多くの対策がなされてきたが、囚人の区分をはじめまだ手つかずのままになっている問題も多い。それでも、ソウルの監獄は改革が行われていない清その他の東洋諸国にくらべれば、非常に好ましい方向に差をつけている。拷問は少なくとも表向きには廃止されたし、切断された首や胴体をさらしたり、笞〈むち〉打ちや身体のそぎ切りで死にいたらしめるようなことは日本の支配を受けていた時代になくなった。ソウルの監獄を見学した日の午後、わたしは繁華街の雑踏のなかに三脚状に組んだ棒につるした首がさらされ、《東大門》外の道ばたの血だまりのなかに首のない胴体が転がっているのを見たのが、わずか二年前だとは信じられない気持ちだった。(p.554)
●朝鮮の重大な宿痾〈しゅくあ〉は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている、つまり「人の親切につけこんでいる」その体質にある。そうすることをなんら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。ささやかながらもある程度の収入のある男は、多数いる自分の親族と妻の親族、自分の友人、自分の親族の友人を扶養しなければならない。それもあって人々はわれがちに官職に就こうとし、職位は商品として売買される。居候をおおぜいかかえている男にとって、そこから逃げだすひとつの道は官吏になることなのである。下級にせよ上級にせよ官吏になれば、公金で居候たちを養っていける。であるから官職がどんどん新設される。目的は、国を治める者たちの親戚や知り合いを食わせるため、にほかならない。だからこそ朝鮮では政治の内紛や暴動が頻繁に起きる。おおもとはほとんど揺るがない。朝鮮の革命家は信念を支えに命をかけようとはしないのである。(p.556-557)
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