「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(4)終

2009.11.01 Sunday 00:21
くっくり


 古都の趣をだいなしにしていた、路地には悪臭が漂い、冬にはあらゆる汚物が堆積し、くるぶしまで汚泥に埋まるほど道のぬかるんでいた不潔きわまりない旧いソウルは、みるみる地表から姿を消そうとしている。とはいえ、これはじつのところはおもに旧に復しているのであって、一八九六年の秋まで残っていた暗くて狭い路地は、広い道路を徐々に浸蝕してできたものにほかならず、その路地を撤去したら道路の両側の水路があらわれたというわけである。(p.543-545)
*8 引用者注:2008年、日本のネットで、この段落の「ソウルは清潔な都市に変わろうとしている」という箇所を「当時のソウルは清潔で人々はとても快適かつ豊かに暮らしている」に変更し、「韓国語版の『朝鮮紀行』は改竄されている」とした悪質なコピペが出回った。バードは「汚いソウル」と「清潔に変わろうとしている」2つのソウルを見ている。前者は最初にソウル入りした1894年、後者は3年後の1897年。そう、日本とロシアのおかげで近代化しつつあるソウルの2つの姿をバードは記したのだ。しかしながら、この段落のページ見開きに掲載された1897年の南大門通りの写真(このエントリーの最初に提示した写真)は、私たちが今日よく目にするみすぼらしい屋根が続く南大門通りの写真である(この「朝鮮紀行改竄デマ事件」についての詳細はこちらを)。

●改善整備されたのは大通りのみにとどまらない。狭い道路の多くが道幅を拡張し、砂利を強いて両側に石の側溝がつくられている。なかには住民自身が工事したものもある。そのほか、ソウル独特の悪臭が消えた。衛生規則が強化され、また家の前の積雪は除去することが全戸に義務づけられるところまで教化が進んでいる。その変身ぶりはたいへんなもので、わたしは一八九四年当時そのままの姿の残るスラムを写真に撮ってこの章に添えられればと探してみたが、そんな場所はどこにも見つからなかった。とはいえ、首都修復は朝鮮式の法則に則ったもので、西洋化されているのではないことを念頭に置かなければならない。(p.546)

●朝鮮における教育に関連して特記しておかなければならないのは、ごく最近の一八九六年末、『儒学経緯」という本が発刊されたことである。この本は学務大臣申箕善〈シンキソン〉が編集し、二名の学務顧問が序文を書いていて、費用は政府持ちで刊行された。『儒学経緯』にはつぎのような記述がある。

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