「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(4)終
2009.11.01 Sunday 00:21
くっくり
ロシア公使のウェーベル氏は当時朝鮮に住んで一二年たっていた。氏はロシア帝国の有能かつ忠実なしもべである。国王からも、また外国人社会全体からも信頼され、国王の王宮脱出までは朝鮮人の親密で沈着な友人だった。氏の助言があれば、国王がとんでもない登用を行ったり、独断で臣下を逮捕・監禁したり、順調に職務をこなしている官僚を理由もなく左遷したり、ヨーロッパ諸国へ使節団を送るだの警官隊を必要以上に強化するだのといった、あとさき考えぬ浪費をしたりするのは防げたかもしれない。しかし氏は受け身に回り、朝鮮人を「自業自得で苦し」ませ、おそらく本国からの命令のもとに行動して、朝鮮に「首をつるのに充分なロープ」をあたえた。こうした一連の行動は、今後ロシアが干渉する際にすじの通った弁解としかねないものである。本国からの命令がなかったとしても、かくも人望篤くかくも優秀な外交官が事態を完璧に掌握できるときに、その価値ある助言で国王を助けるという、他の外国員全員が心から賛同したはずの策をなぜ取らなかったのかという不可解な謎は残る。*7(p.537-538)
*7 引用者注:現在では「露館播遷によりロシア公使ウェーベルの傀儡政権が成立した」と評されたりもするが、p.469-470やp.537-538のバードの記述を見る限り、ウェーベルは国王(高宗)には干渉しなかったらしい!?
●(前項のつづき)いずれにしても、ロシア公使館に遷幸〈せんこう〉して以来国王が享受した自由は朝鮮にとっては益とならず、最近の政策は、総じて進歩と正義をめざしていた日本の支配下で取られた政策とは、対照的に好ましくない。
昔ながらの悪弊が毎日のように露見し、大臣その他の寵臣が臆面もなく職位を売る。国王の寵臣のひとりが公に告発されたときには、正式の訴追要求がなされたのに、その寵臣はなんと学務省副大臣になっている! 一八九五年一〇月八日[乙未事変](引用者注:閔妃殺害事件のこと)の反逆的将校や、武力で成立した内閣の支配からも、心づよくはあっても非人道的なところの多かった王妃の助言からも、また日本の支配力からも解放され、さし迫った身の危険もなくなると、国王はその王朝の伝統のうち最悪な部分を復活させ、チェック機関があるにもかかわらずふたたび勅命は法となり、国王の意思は絶対となった。
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