「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(4)終
2009.11.01 Sunday 00:21
くっくり
科挙制度が廃止されたこと、官吏の登用方法が変わったこと、西洋人による感化が働きはじめたこと、諺文〈オンムン〉採用機会が増えたこと、新しい思想が徐々に流入してきたことにともない、こういった純粋に中国式の教育を求める声は一部衰退した。また教育全般において関心の停滞しそうな状態となったため、首都から影響の広がっていくような新しい教育方法を実施して鼓舞することが必要となった。(p.489-490)
●(朝鮮との貿易について)わたしの考えるところでは、日本の成功は、地の利はべつとして、朝鮮の津々浦々に目はしのきく出張員を送り、その出張員から仕入れる情報の正確さ、そして朝鮮市場の好みと要求とを調べる製造業者のきめ細やかな配慮に主として起因している。日本の商品は荷揚げ後小柄な朝鮮馬に合せて梱包しなおす必要のない、取り扱いやすい大きさにまとめられて港に届き、その価格や幅や長さや織りは朝鮮の消費者の意にかなっている。日本人は一八インチ幅の綿地にこそ端布をさほど出さずに朝鮮服を仕立てられる唯一の綿地であると心得ており、そのような布を市場に出荷する。そして輸入会社の出張員の報告に従って、大阪をはじめとする生産地の職工は、じょうぶで人気のある朝鮮南部製の手織り綿布の織り方や布幅や長さをたちまち器用に自分たちの製品に取りこんでしまう。こうしてできあがった製品は棒でたたいて汚れを落とす朝鮮式の洗濯にも耐える朝鮮製綿布のイミテーションであるどころか、本家本元の朝鮮人職工の目すらあざむき、朝鮮の女性にたいへんな人気を博しているのである。今後も朝鮮をイギリスの市場としつづけるためには、失地回復は商業の常套手段といえる日本のやり方を採用してこそ可能であるにちがいない。
まとめとして、わたしはあえてつぎのように提言する。朝鮮の国民の環境は日本もしくはロシアの援助を得て漸進的に改善されるはずである。外国貿易は購買力の増加と輸送手段の整備により多かれ少なかれ着実に増えるにちがいない。イギリスがどれだけのシェアを占められるかは、イギリスの製造業者に朝鮮人の好みや便益に合わせて製品を適応させる気があるかどうかに大きくかかっている。(p.497-498)
●国王は一年以上にわたってロシア公使館で政務を執られた。これは臣民の大多数にとっては非常に不愉快な策で、君主が外国公使館の保護を受けるとは当然国民全体の屈辱だと考えられたわけである。国王をもとの王宮にもどす陰謀があるといううわさがそこかしこに飛びかい、ロシア人将校が輿にぴったりついて歩かなければ、国王が亡き王妃の廟を訪ねようとされないときもあった。
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