「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(4)終

2009.11.01 Sunday 00:21
くっくり



●ことあるたびに、ロシアは朝鮮で支配的立場に着けるチャンスを見逃してきた。そんな立場になど着きたくもないというのがほんとうのところのようである。わたしたちにはうかがい知れないが、ほかに狙いがあってそれと両立しないのかもしれない。同時に、日本の影響力は静かにまた着実に増大している。たしかに三国[ロシア、フランス、ドイツ]が下関講和条約に干渉した大きな目的は、日本が大陸進出の足がかりを得るのを阻止することにあったが、日本が待機戦術をとって過去の失敗を逆に生かし、正式の保護権も得ないまま、商業と移民というあくまで実利的な目的のために大陸の一地域を自国の領土に加えることは、必ずしもありえないとは思えない。予断は危険であるが、つぎのことは言える。もしもロシアが現在見通されるような遅々とした展開に満足せず、朝鮮に関してなんらかの積極的な意図を明示するつもりであるとすれば、日本にはその車輪にブレーキをかけるくらいの力は充分備わっている! とはいえ、朝鮮がひとり立ちをするのはむりで、共同保護というようなきわめてむずかしい解決策でもとられないかぎり、日本とロシアのいずれかの保護下に置かれなければならない。(p.568-569)

●ざっとではあるが、以上が一八九七年末時点での朝鮮における政治情勢である。朝鮮は長くつづいた中国との緊密な政治的関係を断ち、日本から独立というプレゼントをもらったものの、その使い方を知らずにいる。イギリスは見当がつかなくもない理由から、朝鮮情勢には積極的に関わらなくなっている。他のヨーロッパ列強はこの地域の保護になんら関心を示していない。そして朝鮮の領土の保全と独立は、極東における利害関係が敵対しているといって語弊があれば、対立している帝国主義列強のなかでも、最も辛抱づよい国と最も野心的な国のなすがままとなっている。朝鮮の運命をめぐってロシアと日本が対峙したままの状態で本稿を閉じるのはじつに残念な思いである。(p.571)

 _________________________「朝鮮紀行」引用ここまで


 この後、朝鮮半島は日本とロシアの対立の場となり、日露戦争(1904年2月〜1905年9月)へとつながっていくわけですが、それはまた別の話——。

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