「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(4)終
2009.11.01 Sunday 00:21
くっくり
●今日の朝鮮人は何世紀にもわたる弱い立場の産物であるとはいえ、それでも朝鮮で一年近くをすごし、そこに住む人々をおもな研究対象とした結果、わたしは一八九七年の明らかに時代退行的な動きがあったにもかかわらず、朝鮮人の前途をまったく憂えてはいない。ただし、それには左に掲げたふたつの条件が不可欠である。
I 朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない。
II 国王の権限は厳重かつ恒常的な憲法上の抑制を受けねばならない。(p.563)
●戦争を起こした表向きの理由は、日本政府は慎重に期してそれに固執して言えるが、日本にとって一衣帯水の国が失政と破滅の深みへと年々沈んでいくのを黙って見すごすわけにはいかない、国政の改革が絶対に必要であるというものだった。日本がこの例外的な責務を引き受けたその最終目的はどこにあるか、それを憶測する必要はない。日本がたいへんなエネルギーをもって改革事業に取りかかったこと、そして新体制を導入すべく日本が主張した提案は特権と大権の核心に切りこんで身分社会に大変革を起こし、国王の地位を「給料をもらうロボット」に落ちぶれさせたものの、日本がなみなみならぬ能力を発揮して編みだした要求は、簡単で自然な行政改革の体裁を示していたことを指摘すればこと足る。
わたしは日本が徹頭徹尾誠意をもって奮闘したと信じる。経験が未熟で、往々にして荒っぽく、臨機応変の才に欠けたため買わなくともいい反感を買ってしまったとはいえ、日本には朝鮮を隷属させる意図はさらさらなく、朝鮮の保護者としての、自立の保証人としての役割を果たそうとしたのだと信じる。(p.564-565)
●(前項のつづき)一年有余、失敗はままあったにもかかわらず日本は前進をつづけ、有益かつ重要な改正を何件かなしとげ、またその他の改革を始動させた。日本にとってみれば、現在行われている改革は自分たちが敷いた路線の上にあるものではないかと念を押していいのである。そこへ三浦子爵の残忍なクーデター(引用者注:閔妃殺害事件のこと)が起き、日本は文明諸国に対して国家と外交能力への信用を失ってしまった。つづいて日本は駐屯隊を引き上げさせ、多数いた顧問官、検査官、軍事教官を帰国させた。そして積極的な専制から外見上自由放任主義的な方針にかわったのである。「外見上」とわたしは書いたが、それはこの賢明で野心的な帝国が朝鮮での不運な状況をいっさいのおわりと認識し、絶望のうちに身を引いた(!)とはとうてい考えられないからである。(p.565)
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