「朝鮮紀行」イギリス人女性が見た19世紀末の朝鮮(4)終

2009.11.01 Sunday 00:21
くっくり


 翌日官報が国王承認の法令を発布し、国王が髪を短く切ったことを伝えた。そしてすべての臣下が閣僚も庶民もひとしく国王の手本にならって、国王に今回の第一歩を踏ましめた進歩の精神に同調し、それにより朝鮮国を諸外国と対等の立場に立たせよと求めたのである!(p.462-463)

●断髪令が国民の反感を買った理由のひとつに、尊敬もされず一般に黙認すべき厄介者と見なされている僧侶が剃髪していることがあり、また断髪令は朝鮮人を日本人と同じような外見にさせて自国の習慣を身につけさせようとする日本の陰謀だと受けとめられた。朝鮮人らしさを奪う勅命は日本の差し金だという考えはきわめてつよく、あちこちで起きた断髪令反対の暴動は日本人への敵意を公然とあらわしており、殺人にいたった場合が多い。
 地方では動揺が激しかった。政府高官ですらジレンマで進退きわまった。髪を切れば、住民の激怒を買い私欲をむさぼれる職位から追いだされてしまうどころか、殺されてしまった例もある。かといって「まげ」のままでいれば、内閣から解任される。ある地方では新任の高官が断髪した頭でソウルから到着したとたん、最悪の事態に備えた群衆から、これまでわれわれを治めてきたのは朝鮮人である、「坊主の郡守」などまっぴらだと抗議され、すごすごとソウルに引き返してしまった。(p.464-465)

●髪を切った人々は地方住民に暴力をふるわれるのを恐れ、ソウルから遠出をしようとはしなかった。首都から五〇マイルの春川〈チユンチヨン〉では命令を強制しようとした知事とその部下全員を住民が大挙して殺害し、町とその周辺を占拠した。ソウルの城門にははさみを持った警察官がいて入ってくる者に勅命の履行を強制するので、髪を刈られてしまった農民は家にもどることができなかった。一八九六年一月なかばには物価があまりに高騰したためソウル市内でも「騒動」が起きるのではないかと懸念され、また「地方住民は今回の断髪令の対象としない」というあらたな法令が発された。

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